2011年2月3日木曜日

特許:ガイドライン違反の違法性判断「事実認定」:(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10263号審決取消請求事件))






特許:ガイドライン違反の違法性判断「事実認定」:(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10263号審決取消請求事件))




知的財産高等裁判所第2部「塩月秀平コート」



H230207現在のコメント


(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10263号審決取消請求事件))

ガイドライン違反を取消事由とした珍しい判断です。判決自体は短く,後の規範性は余り無いと判断しますので,縮小版は書きません。また,いわゆる「基準」には該当しないと判断しますので「事実認定」の分類に入れておきます。

top



縮小版なし・判決原文(引用)


(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10263号審決取消請求事件))
top


第5 当裁判所の判断



原告は,審決について,その内容は争わず,審判手続における違法を,取消事由(面接を行わないとした判断の誤り)として主張する。

しかし,原告が審判官との面接を希望したのは,審判官が補正は不適法であるとした平成20年10月15日作成の前置報告書の指摘(甲8)は認めつつも,なお,補正後の請求項を前提として分割出願を希望しその機会を与えてもらうためであったところ(甲9),本件訴訟においても,本件補正が不適法であること自体について原告は争っておらず,これが適法であることを裏付けるべき主張立証もないので,本件補正を前提としての本願発明の分割出願が適法になるものということはできない。そうである以上,審判官が上記内容についての面接要請に応じなかったことをもって,審判手続に違法があるとすることはできない。

原告が主張する審決取消事由に理由がないことは以上のとおりであるが,なお原告が主張しているところにかんがみ,以下の点を補足する。

すなわち,原告は,特許庁が発行しているガイドライン(乙1)中には,面接等の要請に応じることができない12の事例が挙げられているところ,原告の面接要請は,いずれの事例にも該当しないから,面接をする機会を与えなかった審判合議体の判断は,ガイドライン違反であると主張する。

しかし,ガイドラインは特許庁が定めている基準であって,面接の機会を与えられなかったことが違法となるか否かは本件訴訟で独自に判断すべきである。そして,本件審判手続において面接を行わなかったことをもって違法とすべき事実関係を認めることができないことは,冒頭に説示したとおりである。拒絶査定不服審判は,書面審理により行われるものである(特許法145条2項)ところ,審判手続において,審判合議体と請求人側との密な意思疎通を図り,それにより審理の促進に役立てるために面接が実務上行われているとしても(ガイドライン1.1(乙1)参照。),それは,特許法上規定された手続ではなく,請求人に対するいわゆる行政サービスの性質を持つものである。

そうすると,拒絶査定不服審判の審理に際して面接を行うか否かは,個々の事案において審判合議体の裁量に属する事項であり,特段の事情のない限り,面接を行わなかったことが審判手続上の違法となるものではない。そして,上記説示したところによれば,本件においてこの特段の事情はない。

原告は,さらに,面接をする機会を与えなかった審判合議体の判断が,補正後の請求項に係る発明も含め,本願発明の明細書及び図面中の発明について多数の特許を取得することを予定した原告の期待権を侵害するものであると主張する。

しかし,原告が主張する期待権侵害も,面接を受けられなかったことについての違法をいうものに帰するのであって,前記のとおり,面接を行わなかった審判合議体の判断を違法とすることはできないのであるから,原告のこの主張も,採用することができない。


top



判決原文(全文)




平成22(行ケ)10263 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟平成23年02月03日 知的財産高等裁判所 



  • 1 -




平成23年2月3日判決言渡同日原本領収裁判所書記官平成22年(行ケ)第10263号審決取消請求事件


口頭弁論終結日平成23年1月27日



判決





主文



原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。



事実及び理由



top



第1 原告の求めた判決



特許庁が不服2008-20006号事件について平成22年7月2日にした審決を取り消す。



第2 事案の概要



本件は,特許出願に対する拒絶査定に係る不服の審判請求について,特許庁がした請求不成立の審決の取消訴訟である。争点は,本件審判手続の適法性である。

top



1 特許庁における手続の経緯



原告は,平成18年8月2日,名称を「情報出力装置,媒体および情報入出力装置」(平成20年4月8日付け手続補正書において「情報出力装置」と変更)とする発明について国際特許出願(特願2007-531140号,平成19年2月22日国際公開(WO2007/021249号),平成20年1月24日国内公表(特表2008-501490号))をし,平成20年4月8日に手続補正をしたが,平成20年7月3日付けで拒絶査定を受けたので,同年8月6日,これに対する不服の審判を請求するとともに,同年9月5日に手続補正(本件補正)をした。

特許庁は,上記請求を不服2008-20006号事件として審理した上,平成22年7月2日,平成20年9月5日付けの手続補正を却下するとともに,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は平成22年7月14日原告に送達された。

top



2 本願発明の要旨


平成20年4月8日付けの手続補正により補正された特許請求の範囲の請求項1
に係る本願発明は,以下のとおりである。
【請求項1】ステージ面上に,その媒体面に所定の規則に基づいたドットパターン
が印刷された媒体を前記ステージ面と対面させた状態で載置し,ステージ下空間に
配置された撮像手段によって前記ドットパターンを読み取って,当該撮像手段から
得られた撮影画像からドットパターンの意味するコード値又は座標値に変換し,該
コード値又は座標値に対応した情報を出力する情報出力装置であって,前記ステー
ジ面の複数の媒体載置位置にはそれぞれ光透過性の読取孔が設けられており,前記
各読取孔に対応するステージ下空間にはそれぞれ撮像手段が前記読取孔上に載置さ
れた媒体の媒体面を撮像可能に配置された情報出力装置。

top



3 審決の理由の要点


(1) 本件補正は不適法で却下すべきなので,補正前の本願発明についてにみる
に,本願発明は,引用例(特開2004-41740号公報)に記載された発明及
び周知技術に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,
特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
(2) なお,本件審判手続においては,審判請求人の意見を求めるために平成2


  • 3 -


1年5月1日付けで審尋がなされ,請求人(本訴原告)から同年7月6日に当該審
尋に対する回答書が提出されたところ,請求人は,上記回答書において「本件補正
後の請求項は,いずれも出願当初の明細書及び図面に記載されているものであり,
出願の分割を行いたいから面接を希望する」旨要望したが,平成20年9月5日付
け補正は,当初明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項
との関係において,新たな技術的事項を導入しないものでないから,同補正に基づ
く分割出願は適法なものではなく,したがって,請求人の上記要望を受け入れるこ
とに意義を見いだせないことから,面接は行わない。

top



第3 原告主張の審決取消事由(面接を行わないとした判断の誤り)


1 審決送達までの経緯
原告は,平成21年5月7日,同日発送の審尋を受領し,そこに記載された「前
置報告書の内容」には,平成20年9月5日付け手続補正書による補正が,「特許請
求の範囲の(いわゆる限定的)減縮」,「誤記又は誤訳の訂正」,「明りょうでない記
載の釈明」のいずれでもなく,却下されるべきものである旨が記されていた。
原告は,検討の結果,この前置報告書の内容,すなわち,当該補正が補正要件を
満たしていないことは認めることとしたが,補正後の請求項は,出願当初の明細書
及び図面の範囲内に記載されていると確信していたので,分割出願を行えば特許を
取得することができると考えた。
そこで,原告は,平成21年7月6日付けの回答書にて,補正後の請求項で特許
を取得したい旨,及び原告(出願人)の方針を説明するため,審判官面接の機会を
与えていただきたい旨を記載した。さらに,分割の機会を得るために拒絶理由を通
知していただきたい旨を記載した。
また,本願の明細書及び図面中には,本願発明及び本願を原出願とした分割出願
(特願2008-100869号,特許第4268659号)に係る発明以外にも,
特許取得を希望する発明が多数含まれていた。原告は,回答書には明記しなかった


  • 4 -


が,拒絶理由が通知されたら,補正後の請求項のほかに,明細書及び図面中の発明
についても分割出願を行うことを計画しており,この点について,審判官面接の際
に説明することを予定していた。
しかし,審判官面接の機会が与えられることも拒絶理由が通知されることもない
まま,平成22年6月21日,審理終結通知書(平成22年6月16日起案)を受
領した。「審理が終結した」との突然の知らせに驚いた原告は,正式に審決が通知さ
れる前にその結果を知りたいと考え,審判長に電話をしたところ,「請求不成立」と
のコメントを受けた。原告は,電話にて,面接を強く希望していた旨,本願発明以
外にも特許を取得したい発明が多数あり,そのためにも分割出願の機会を得たかっ
た旨を審判長に伝えが,審理の再開がなされることもなく,電話でのコメントと同
じ結論の審決が送達された。

top
2 審判合議体の判断の誤りについて
審決は,面接を行わなかった理由として,「請求人は上記回答書において,「本件
補正後の請求項は,いずれも出願当初の明細書及び図面に記載されているものであ
り,出願の分割を行いたいから面接を希望する」旨要望したが,上記「第2」に示
したとおり,本件補正は,当初明細書等のすべての記載を総合することにより導か
れる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものでないから,
本件補正に基づく分割出願は適法なものではない。したがって,請求人の上記要望
を受け入れることに意義を見いだせないことから,面接は行っていない。」(11頁
9行~16行)と述べている。
そして,審決の「第2 平成20年9月5日付けの手続補正についての補正の却
下の決定」には,補正後の請求項1の「ステージ下の空間は,前記撮像手段の分の
み確保されている」という構成要素が,当初明細書に記載された事項とすることが
できず,当業者にとって自明な事項であるともいえない旨が記載されている。
しかし,原告は,分割出願を行った後に同様の拒絶理由が通知された場合には,
当該拒絶理由が妥当でない旨を意見書で主張する,又は請求項の補正を行うことに


  • 5 -


より,拒絶理由を克服することができたはずである。したがって,分割出願が適法
でないことを理由に,分割出願を行う機会及び面接をする機会を与えなかった審判
合議体の判断は,一方的なものであり,誤った判断である。
なお,被告の主張のとおり,本件出願について分割の機会があったことは認める
が,原告は,代理人である弁理士に手続を依頼するための経済的な余裕がなく,個
人で出願・中間処理等すべての手続を行わざるを得ず,したがって,経済的にも労
力的にも分割時期をできるだけ先延ばしする必要があったのである。
また,特許庁が発行している「面接ガイドライン(審判編)」(乙1,以下「ガイ
ドライン」という。)中には,面接等の要請に応じることができない12の事例が挙
げられているところ,原告の面接要請は,いずれの事例にも該当しない。このこと
からも,面接をする機会を与えなかった審判合議体の判断は,ガイドライン違反で
あり,誤った判断である。
この点について被告は,本件はガイドライン5.(12)に記載された「例外的な場
合」に該当するため面接は行わなかった旨述べるが,上記ガイドラインの記載中で
は,「例外的な場合」が具体的にどのような場合であるか,一切例示されておらず,
例示されていない限りは,出願人は,自身の面接の要請が例外的な場合に該当する
とは考えず,面接を行ってもらえるものと理解するのは当然であり,面接をする機
会を与えなかった審判合議体の判断に違法がある。特に本件は,前置審査の段階で,
技術説明及び本件の方針を説明することを目的とした審査官面接を要請したところ
断られ,審判の段階で対応してもらうように審査官から示唆されたものであり,原
告としては,審判段階では面接の機会が与えられるものと信じて疑わなかったわけ
である。
さらに,上記1で述べたように,原告は,本願発明以外にも,本願の明細書及び
図面中の発明について,分割出願を行うことにより特許化を図ることを計画してい
た。しかし,面接の機会が与えられなかったため,原告は,当該計画について説明
することができず,貴重な発明を特許化する機会を逸してしまった。これによる原


  • 6 -


告の損害は甚大なものである。
この点からも,面接をする機会を与えなかった審判合議体の判断は,補正後の請
求項に係る発明も含め,本願発明の明細書及び図面中の発明について多数の特許を
取得することを予定した原告の期待権を侵害するものであり,誤った判断である。

top



第4 被告の反論


1 原告主張の「審決送達までの経緯」については,争わない。
2 原告主張の「審判合議体の判断の誤り」に対し
(1) 特許出願における出願の分割については,特許法44条1項(平成18年
法律第55号による改正前のもの)には,「特許出願人は,願書に添付した明細書又
は図面について補正をすることができる期間内に限り,二以上の発明を包含する特
許出願の一部を一又は二以上の新たな特許出願とすることができる。」と規定されて
いる。
また,補正をすることができる期間については,特許法17条から17条の4に
規定されており,本件出願については,少なくとも,以下の(a)~(c)の期間
に,分割を行う機会があった。
(a)特許をすべき旨の査定の謄本の送達前で,拒絶理由通知を受ける前(特許法
17条の2第1項柱書き)
(b)拒絶理由通知を受けた後の指定された期間内(同1項1号)
(c)拒絶査定不服審判を請求する場合において,その審判の請求の日から30日
以内(同1項4号)
そして,その機会に分割出願を行うかどうかは,出願人(原告)の自由な判断に
委ねられたものである。実際,原告は,平成20年2月4日付け拒絶理由通知の指
定期間内である同年4月8日に,分割出願(特願2008-100869(特開2
008-212697号),乙2)を行っている。そうすると,本件出願について度
重なる分割の機会があり,その度に自らの自由な判断で別の新たな分割出願をする


  • 7 -


ことができたにもかかわらず,新たな分割出願を行わなかったのであるから,審決
に際して審判合議体が分割出願を行う機会を与えなかったからといって,審判合議
体の判断に違法性はない。
(2) 面接は,審判請求事件において,審判合議体と請求人側との意思疎通を図
り,それにより審理の促進に役立てるために行うものである。(ガイドライン(乙1)
参照)。
また,拒絶査定不服審判は,書面審理を原則としており,面接は,審判合議体の
審理を補完する役割を有するにすぎない。したがって,審理に際して面接を行うか
否かは,個々の事案ごとに,審判合議体が判断すべき裁量の範囲内である。
これに対して,原告は,本願発明の発明者による技術説明及びデモンストレーシ
ョンのための面接や本件に対する特許を取得するための原告の方針を説明するため
の面接を希望した。
しかし,審判合議体は,上記「本願発明の発明者による技術説明及びデモンスト
レーションのための面接」に対しては,合議体が事件の内容を十分に理解しており,
説明を受ける必要がなく,面接を行わない「例外的な場合」と判断したものである
(ガイドライン5.(12)参照)。また,上記「本件に対する特許を取得するための原
告の方針を説明するための面接」に対しては,具体的には分割出願を希望すること
であるから,審理の促進に役立つとは認められないと判断した(ガイドライン5.
(9)参照)のである。
よって,上記面接をする機会を与えなかったからといって,面接の目的及び書面
審理の原則に照らして,審判合議体の判断に違法性はない。

top



第5 当裁判所の判断



原告は,審決について,その内容は争わず,審判手続における違法を,取消事由(面接を行わないとした判断の誤り)として主張する。

しかし,原告が審判官との面接を希望したのは,審判官が補正は不適法であるとした平成20年10月15日作成の前置報告書の指摘(甲8)は認めつつも,なお,補正後の請求項を前提として分割出願を希望しその機会を与えてもらうためであったところ(甲9),本件訴訟においても,本件補正が不適法であること自体について原告は争っておらず,これが適法であることを裏付けるべき主張立証もないので,本件補正を前提としての本願発明の分割出願が適法になるものということはできない。そうである以上,審判官が上記内容についての面接要請に応じなかったことをもって,審判手続に違法があるとすることはできない。

原告が主張する審決取消事由に理由がないことは以上のとおりであるが,なお原告が主張しているところにかんがみ,以下の点を補足する。

すなわち,原告は,特許庁が発行しているガイドライン(乙1)中には,面接等の要請に応じることができない12の事例が挙げられているところ,原告の面接要請は,いずれの事例にも該当しないから,面接をする機会を与えなかった審判合議体の判断は,ガイドライン違反であると主張する。

しかし,ガイドラインは特許庁が定めている基準であって,面接の機会を与えられなかったことが違法となるか否かは本件訴訟で独自に判断すべきである。そして,本件審判手続において面接を行わなかったことをもって違法とすべき事実関係を認めることができないことは,冒頭に説示したとおりである。拒絶査定不服審判は,書面審理により行われるものである(特許法145条2項)ところ,審判手続において,審判合議体と請求人側との密な意思疎通を図り,それにより審理の促進に役立てるために面接が実務上行われているとしても(ガイドライン1.1(乙1)参照。),それは,特許法上規定された手続ではなく,請求人に対するいわゆる行政サービスの性質を持つものである。

そうすると,拒絶査定不服審判の審理に際して面接を行うか否かは,個々の事案において審判合議体の裁量に属する事項であり,特段の事情のない限り,面接を行わなかったことが審判手続上の違法となるものではない。そして,上記説示したところによれば,本件においてこの特段の事情はない。

原告は,さらに,面接をする機会を与えなかった審判合議体の判断が,補正後の請求項に係る発明も含め,本願発明の明細書及び図面中の発明について多数の特許を取得することを予定した原告の期待権を侵害するものであると主張する。

しかし,原告が主張する期待権侵害も,面接を受けられなかったことについての違法をいうものに帰するのであって,前記のとおり,面接を行わなかった審判合議体の判断を違法とすることはできないのであるから,原告のこの主張も,採用することができない。

top



第6 結論



以上によれば,原告主張の取消事由は理由がない。

よって,原告の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第2部裁判長裁判官塩月秀平裁判官清水節- 10 -裁判官古谷健二郎
top

Last Update: 2011-02-07 19:01:08 JST

top

特許:【容易想到性】「事実認定」:(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10184号審決取消請求事件))





目 次


特許:【容易想到性】「事実認定」:(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10184号審決取消請求事件))




知的財産高等裁判所第4部「滝澤孝臣コート」



H230204現在のコメント


(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10184号審決取消請求事件))
地味ですが,これが,滝澤コートの書きぶりの特徴をよく示しているとおもいます。

top



縮小版なし・判決原文(引用)【容易想到性】「阻害事由,事実認定」


(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10184号審決取消請求事件))



ウ相違点2の容易想到性について


(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10184号審決取消請求事件))

(ア) 引用例1は,前記のとおり,引用発明の弁本体の耐クリープ性に配慮して樹脂の素材の好例を記載しており(【0027】),また,強度の高い部材(例えば金属)と強度の低い部材(例えば樹脂)とによって構成された構造体に外力が加わった場合,強度の低い部材に応力が集中し,これが樹脂である場合にはクリープが発生することは,技術常識でもある。そして,樹脂製のフランジに対して金属部材をかしめ固定する技術に関する甲8技術が,樹脂にクリープが発生することを予防するためにフランジ部に金属板を備えていることを併せ考えると,引用発明のフランジに筒状止め金具をかしめ固定するに当たり,甲8技術に基づき,筒状止め金具が当接するフランジ部に金属板を備える構成を想到することは,当業者にとって容易であったといえる。

(イ) 次に,引用発明は,前記のとおり,本件オリフィス構成を採用している

(【0016】)。したがって,前記のとおり,引用発明のフランジ部に金属板を備える構成を採用する場合に,当該金属板を樹脂製の弁本体にインサート成形することは,引用例1自体に示唆があり,当業者にとって容易に想到可能であるといえる。

(ウ) また,一般に,膨張弁を含む圧力制御弁の技術分野において,円筒形のあ2つの部材を固定する手段として,かしめ固定のほかに,螺着という手段が存在することは,当業者にとって周知技術である(甲9,10)。

(エ) しかしながら,引用例1及び2には,前記フランジ部に金属板をインサート成形したとしても,この部分に雄ねじを,筒状止め金具の内側に雌ねじを,それぞれ形成して,両部材の固定に当たって前記周知技術である螺着という方法を採用することについては,いずれも何らこれを動機付け又は示唆する記載がない。

むしろ,引用発明は,本件先行発明の制御機構が,取付筒に形成された雄ねじと弁本体の内側に形成された雌ねじにより螺着されているが,雄ねじの形成にコストがかかり,かつ,取付けに当たり接着剤を使用する必要があり,取付作業が面倒になる(【0012】)という課題を解決するために,かしめ固定という方法を採用し(【0047】),本件先行発明が採用するねじ結合による螺着という方法を積極的に排斥したものである。したがって,引用例1及び2に接した当業者は,あくまでも制御機構(パワーエレメント部)と樹脂製の弁本体をかしめ固定により連結することを前提とした技術の採用について想到することは自然であるといえるものの,本件先行発明が採用していながら,引用例1が積極的に排斥したねじ結合による螺着という方法を想到することについては,阻害事由があるといわざるを得ない。

以上のとおり,引用例1及び2には,膨張弁のパワーエレメント部と樹脂製の弁本体の固定に当たり,弁本体の外周部にインサート成形した固着部材に雄ねじを,上端部が屈曲した筒状の連結部材の内側には雌ねじを,それぞれ形成して,両者をねじ結合により螺着させるという本件補正発明の相違点2に係る構成を採用するに足りる動機付け又は示唆がない。むしろ,引用発明は,それに先行する本件先行発明の弁本体が金属製であることによる問題点を解決するためにこれを樹脂製に改め,併せてパワーエレメント部と弁本体とを螺着によって固定していた本件先行発明の有する課題を解決するため,ねじ結合による螺着という方法を積極的に排斥してかしめ固定という方法を採用したものであるから,引用発明には,弁本体を樹脂製としつつも,パワーエレメント部と弁本体の固定に当たりねじ結合による螺着という方法を採用することについて阻害事由がある。しかも,本件補正発明は,上記相違点2に係る構成を採用することによって,パワーエレメント部の固定に強度不足という問題が発生せず,膨張弁の動作に不具合が生じるおそれもなく,またその強度不足によって生ずる水分の侵入により不都合が生じるというおそれも発生しないという作用効果(作用効果1)を発揮することで,引用発明が有する技術的課題を解決するものである。

したがって,当業者は,引用発明,本件オリフィス構成,甲8技術及び周知技術に基づいたとしても,引用発明について相違点2に係る構成を採用することを容易に想到することができなかったものというべきである。

top



判決原文(全文)




平成22(行ケ)10184 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟平成23年02月03日 知的財産高等裁判所 


1 top



平成23年2月3日判決言渡同日原本受領裁判所書記官平成22年(行ケ)第10184号審決取消請求事件


口頭弁論終結日平成23年1月18日



判 決





主 文



1 特許庁が不服2008-1265号事件について平成22年4月19日にした審決を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

top



第1 請求


主文1項同旨

top



第2 事案の概要



本件は, 原告が,下記1のとおりの手続において,本件出願に対する拒絶査定不服審判の請求について,特許庁が,特許請求の範囲を下記2(1)から(2)へと補正する本件補正を却下した上,同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は下記3のとおり)には,下記4の取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。

top



1 特許庁における手続の経緯


2



(1) 本件出願及び拒絶査定



発明の名称:膨張弁

出願番号:平成9年特許願第304292号(甲1)

出願日:平成9年11月6日

拒絶査定日:平成19年12月7日



(2) 審判請求及び本件審決



審判請求日:平成20年1月17日

手続補正日:平成20年2月18日(甲4の4。以下,同日付け手続補正書による補正を「本件補正」という。)

審決日:平成22年4月19日

審決の結論:本件審判の請求は,成り立たない。

審決書謄本送達日:平成22年5月11日

top



2 本件補正前後の特許請求の範囲の記載


(1) 本件補正前の特許請求の範囲の請求項2の記載(ただし,平成19年6月
6日付け(甲2の3)及び同年10月24日付け(甲3の3)各手続補正書による
補正後のものである。以下,下記の特許請求の範囲に属する発明を「本願発明」と
いう。)
エバポレータに向かう液冷媒が通る第1の通路とエバポレータからコンプレッサ
に向かう気相冷媒が通る第2の通路を有する樹脂製の弁本体と,上記第1の通路中
に設けられるオリフィスと,該オリフィスを通過する冷媒量を調節する弁体と,上
記弁本体に設けられ,上記気相冷媒の温度に対応して動作するパワーエレメント部
と,上記パワーエレメント部と上記弁体との間に設けられる弁体駆動棒とを備え,
上記弁体駆動棒は,上記気相冷媒の温度を上記パワーエレメント部に伝達すると共
に上記パワーエレメント部により駆動されて上記弁体を上記オリフィスに接離させ
る膨張弁であって,上記パワーエレメント部は,弾性変形可能な部材から成る上カ
バーと下カバーの外周縁にてダイアフラムを挟持することにより構成され,上記弁
3
本体の上端部の外周部に固着部材がインサート成形によって設けられ,上端部が内
側に屈曲した筒状の連結部材を上記固着部材に螺着して上記パワーエレメント部の
外周縁を上記連結部材の上端部と上記弁本体の上端部との間に挟み込むことにより,
上記パワーエレメント部が上記弁本体に固定されていることを特徴とする膨張弁
(2) 本件補正後の特許請求の範囲の請求項2の記載(ただし,下線部分は本件
補正による補正箇所である。以下,下記の本件補正後の特許請求の範囲に属する発
明を「本件補正発明」といい,本件補正発明に係る明細書(甲1,2の3,3の3,
4の4)を「本件補正明細書」という。)
エバポレータに向かう液冷媒が通る第1の通路とエバポレータからコンプレッサ
に向かう気相冷媒が通る第2の通路を有する樹脂製の弁本体と,上記第1の通路中
に設けられるオリフィスと,該オリフィスを通過する冷媒量を調節する弁体と,上
記弁本体に設けられ,上記気相冷媒の温度に対応して動作するパワーエレメント部
と,上記パワーエレメント部と上記弁体との間に設けられる弁体駆動棒とを備え,
上記弁体駆動棒は,上記気相冷媒の温度を上記パワーエレメント部に伝達するとと
もに上記パワーエレメント部により駆動されて上記弁体を上記オリフィスに接離さ
せる膨張弁であって,上記パワーエレメント部は,弾性変形可能な部材から成る上
カバーと下カバーの外周縁にてダイアフラムを挟持することにより構成され,上記
弁本体の上端部の外周部に固着部材がインサート成形によって設けられ,上記固着
部材には雄ねじが形成されており,上端部が内側に屈曲した筒状の連結部材の内面
には雌ねじが形成されており,上記連結部材を上記雌ねじと上記雄ねじとのねじ結
合によって上記固着部材に螺着して上記パワーエレメント部の外周縁を上記連結部
材の上端部と上記弁本体の上端部との間に挟み込むことにより,上記パワーエレメ
ント部が上記弁本体に固定されていることを特徴とする膨張弁
3 本件審決の理由の要旨
(1) 本件審決の理由は,要するに,本件補正発明は,下記アの引用例1に記載
された発明(以下「引用発明」という。),引用例1に記載された技術事項(以下
4
「本件オリフィス構成」という。),下記イの引用例2に記載された技術(以下
「甲8技術」という。)及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることが
できたものであるから独立特許要件を満たさないとして,本件補正を却下し,本件
出願に係る発明の要旨を本願発明のとおり認定した上,本願発明は引用発明,本件
オリフィス構成,甲8技術及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすること
ができたものである,としたものである。
ア引用例1:特開平9-89154号公報(甲7)
イ引用例2:特開平9-14097号公報(甲8)
(2) なお,本件審決が認定した引用発明,本件オリフィス構成,甲8技術並び
に本件補正発明と引用発明との一致点及び相違点は,以下のとおりである。
ア引用発明:冷媒を導入するための第1の流路と,導入された冷媒を蒸発器
に送り出すための第2の流路と,蒸発器から圧縮機に向かって送り出される冷媒を
通過させるための第3の流路とを備える樹脂で成形した弁本体と,第1の流路と第
2の流路とを連通させるオリフィスと,オリフィスの開放量を調整するための弁体
と,弁本体に装着され,冷媒の温度に応じて絞り機構を制御する制御機構と,ダイ
ヤフラムと弁体との間に介在する感温棒と作動棒とを備え,ガス状冷媒の熱は感温
棒の軸部からディッシュへと伝わりダイヤフラムを介して感熱室内の飽和蒸気ガス
に伝熱され,感熱室内の圧力変化によるダイヤフラムの上下動が感温棒と作動棒を
介して弁体に伝わり,この弁体が開閉制御される温度式膨張弁であって,制御機構
は,第1のカバーとしての上蓋と,第2のカバーとしての下蓋と,ステンレス製の
薄板よりなるダイヤフラムを両蓋間に挟持し,弁本体の上端外周部にフランジが形
成され,フランジとともに制御機構の外周部を覆うようにかぶせた円筒状の止め金
具の上下部をかしめることにより,弁本体と制御機構とを固定した温度式膨張弁
イ本件オリフィス構成:弁本体を合成樹脂にて成形すると合成樹脂は金属よ
り低強度であり,弁体が合成樹脂製の弁座に当接する動作が繰り返されると,弁座
が損傷する可能性があるため,下面に弁座を有するオリフィスを,金属部材のイン
5
サート成形により形成し,弁体の開閉作動によりオリフィスが破損する恐れをなく
したこと
ウ甲8技術:樹脂製の燃料分配管のフランジ部に金属製のハウジングをかし
め固定するとき,かしめのときに樹脂に掛かる応力を最小限にし,樹脂のクリープ
の発生を防止することを技術的課題とし,燃料分配管のフランジ部が金属板を有す
ること
エ一致点:エバポレータに向かう液冷媒が通る第1の通路とエバポレータか
らコンプレッサに向かう気相冷媒が通る第2の通路を有する樹脂製の弁本体と,上
記第1の通路中に設けられるオリフィスと,該オリフィスを通過する冷媒量を調節
する弁体と,上記弁本体に設けられ,上記気相冷媒の温度に対応して動作するパワ
ーエレメント部と,上記パワーエレメント部と上記弁体との間に設けられる弁体駆
動棒とを備え,上記弁体駆動棒は,上記気相冷媒の温度を上記パワーエレメント部
に伝達すると共に上記パワーエレメント部により駆動されて上記弁体を上記オリフ
ィスに接離させる膨張弁であって,上記パワーエレメント部は,上カバーと下カバ
ーの外周縁にてダイアフラムを挟持することにより構成され,弁本体の上端部の外
周部に固定用部材が設けられ,連結部材によりパワーエレメント部の外周縁を弁本
体の上端部に連結して固定する膨張弁
オ相違点1:本件補正発明では,上カバーが弾性変形可能な部材から成るの
に対して,引用発明では,上蓋がどのような部材からなるか,不明である点
カ相違点2:パワーエレメント部の弁本体への固定を,本件補正発明では,
弁本体の上端部の外周部に固着部材がインサート成形によって設けられ,固着部材
には雄ねじが形成されており,上端部が内側に屈曲した筒状の連結部材の内面には
雌ねじが形成されており,連結部材を雌ねじと雄ねじとのねじ結合によって固着部
材に螺着してパワーエレメント部の外周縁を連結部材の上端部と弁本体の上端部と
の間に挟み込むことにより行うのに対して,引用発明では,弁本体の上端外周部に
フランジが形成され,当該フランジとともに制御機構の外周部とを覆うようにかぶ
6
せた円筒状の止め金具の上下部をかしめることにより行う点
4 取消事由
(1) 本件補正を却下した判断の誤り(取消事由1)
ア一致点の認定の誤り
イ相違点2についての判断の誤り
(2) 審決手続の審理不尽(取消事由2)

top



第3 当事者の主張


1 取消事由1(本件補正を却下した判断の誤り)について
〔原告の主張〕
(1) 一致点の認定の誤りについて
ア本件審決は,引用発明の「弁本体の上端外周部にフランジが形成され」る
ことと,本件補正発明の「弁本体の上端部の外周部に固着部材がインサート成形に
よって設けられ」ることとは,前者において,「フランジ」が制御機構を弁本体に
固定するために用いられるものであり,後者において,「固着部材」が,パワーエ
レメント部を弁本体に固定するために用いられるものであるから,両者が,「弁本
体の上端部の外周部に固定用部材が設けられ」る点で一致する旨の認定している。
イしかしながら,ここにいう「固定用部材」は,「連結部材」その他のものと
の関係が不明であり,連結部材によってパワーエレメント部を弁本体に固定するこ
とにどのように技術的に貢献するのか不明である。
むしろ,引用発明においては,フランジとともに制御機構の外周部を覆うように
筒状の止め金具をかぶせ,当該止め金具の上下部をフランジを包むようにかしめて
いるのに対し,本件補正発明では,弁本体の上端部に置いたパワーエレメント部の
外周縁を連結部材の上端部との間に挟み込んでいるのであり,引用発明の「フラン
ジ」と本件補正発明の「インサート成形される固着部材」とは一致しない。
ウよって,本件審決は,一致点の認定を誤っている。
エ被告は,「連結部材が固定用部材と協働することにより」という事項を補
7
充して主張するが,これは,本件審決には記載がなく,一致点の記載を実質的に書
き替えようとするものである。
また,引用発明の連結部材とフランジ(固定用部材)を協働させたとしても,
本件審決は,止め金具の上部を弁本体に向かって押すなどの点を特定しておらず,
パワーエレメント部を弁本体に連結して固定できないことになるから,一致点の認
定として失当である。
さらに,被告は,本件補正発明の固着部材がインサート成形によって設けられ
ることを挙げているが,これは,一致点ではなく相違点2で取り上げられている事
項であって,その主張は,矛盾している。しかも,本件補正発明の固着部材(固定
用部材)とパワーエレメント部の外周縁が置かれる弁本体の上端部との関係が一致
点として特定されていないから,連結部材が固着部材(固定用部材)に螺着されて
も,パワーエレメント部を弁本体に固定することに繋がらず,一致点の認定として
失当である。
(2) 相違点2についての判断の誤りについて
ア本件審決は,①引用例1には,本件オリフィス構成が記載されており,弁
本体を合成樹脂で成形した場合の強度不足を補うために,合成樹脂製樹脂の強度を
必要とする箇所に,インサート成形により金属部材を形成する技術事項が記載され
ていること,②引用例2には,樹脂製本体部分に金属製の他部材をかしめ固定する
ために,樹脂製本体部材のフランジ部に強度を必要とすることが示唆されているこ
と,③引用発明において,弁本体の制御機構がかしめ固定されるフランジに強度が
必要とされることが当業者にとって明らかであること,④引用例1には,樹脂のク
リープ特性(経過時間とともに,樹脂の変形量が増大し応力が低下する特性)に関
して耐クリープ性に優れた樹脂が好ましいことが記載されており(【0027】),
甲8技術も樹脂のクリープの発生を防止することを技術的課題とするものであるか
ら,両者が樹脂のクリープの発生を防止するという共通の課題を解決するものであ
ること,⑤したがって,引用発明において,弁本体の制御機構がかしめ固定される
8
フランジの強度を向上させるため,及び樹脂で構成される弁本体のクリープの発生
を防止するという共通の課題を解決するために,本件オリフィス構成に倣って,フ
ランジにインサート形成により金属部材を形成することを当業者が容易に想到でき
た旨を説示し,併せて,⑥膨張弁を含む圧力制御弁の技術分野において,パワーエ
レメント部の弁本体への固定を,弁本体の上端部の外周部に上端部が内側に屈曲し
た筒状の連結部材を等着することにより,パワーエレメント部の外周縁を連結部材
の上端部と弁本体の上端部との間に挟み込むことは,周知技術(甲9,10)であ
るとして(以下,これらを「①の判断」ないし「⑥の判断」という。),本件補正
発明の相違点2に係る構成が,引用発明,本件オリフィス構成,甲8技術及び周知
技術に基づいて容易想到である旨を判断した。
イしかしながら,①の判断についてみると,引用例1には,本件オリフィス
構成が記載されているものの,その構成をパワーエレメント部の弁本体への固定の
ために適用することについては,何らの開示も示唆もない。
ウ②の判断についてみると,甲8技術は,かしめ固定に関するものであって,
ねじ結合にまで適用されるとの記載又は示唆はないし,雄ねじが形成される部材自
体をインサート成形することまでを開示又は示唆するものではない。
エ④の判断についてみると,引用例1に開示されているクリープ特性の記載
(【0027】)は,かしめ固定の技術に関するものであり,このことは,甲8技
術についても同様であって,いずれも,ねじ結合による固定にまで適用されること
を記載したものではない。
すなわち,金属板材をかしめる際に,かしめ変形される箇所及び領域は,限定
的である一方,ねじ結合による連結の場合には,相手が樹脂であるとするとき,樹
脂のクリープ現象が皆無とはいえないが,ねじ締めのときの係合部分が螺旋状に擬
似多重的に延びており,その係合部分を仮に引き伸ばしたとすると相当に長い係合
部分になる。このような場合には,かしめ固定の場合とは異なり,樹脂にクリープ
がわずかに生じたからといって,気密性がすぐに破られるものではない。
9
したがって,クリープ性を備える樹脂だからといって,金属板材の固定相手と
なる当該樹脂に別の金属板を嵌め合わせる技術は,かしめによる固定の技術に特有
のものであり,ねじ結合の際にその一方のねじ部をインサート成形することに直ち
に結びつくということにはならない。
むしろ,引用例1は,膨張弁に使用される材料の性質上,好ましい特性の1つ
として耐クリープ性を挙げているにすぎず,低強度に起因する弊害としてクリープ
を挙げているわけではない(【0027】)。また,クリープは,時間経過ととも
に変形量が増大するという材質の性質であって,静的な強度それ自体とは別であり,
引用例1には,耐クリープ性と強度とを直接に関連付けた記載はないし,まして,
パワーエレメント部を固定するフランジ部の強度を高める必要性や,従来品の不具
合の原因が樹脂側のクリープにあることなどの記載はない。
そして,引用発明においては,耐クリープ性に優れた樹脂を使用することが示
されているのだから,こうした材料の選択によって,既に強度向上は達成されるか
ら,それ以上にフランジの強度を高める必要性を認識することはあり得ない。
さらに,甲8技術は,燃料圧力制御装置における樹脂製の燃料分配管のクリー
プの発生を防止しようとするものであって,膨張弁の技術分野とは異なり,かつ,
膨張弁に適用可能との記載や示唆もないばかりか,樹脂について強度の低下や強度
を高めることなどの説明はない。したがって,これに接した当業者は,引用例1及
び2がクリープの発生を防止するとの課題で共通していることや,樹脂化による強
度の低下というような弊害を認識することはないし,フランジ部の強度向上の必要
性やそのための金属の活用を認識することなど,あり得ない。
オ⑥の判断についてみると,引用例1は,それ以前のねじによる連結の不具
合を解決するためのものである(【0012】【0047】)から,引用例1に接
した当業者がかしめ固定に代えて螺着を採用することなどあり得ない。
むしろ,本件補正発明においては,連結部材が,上カバーと下カバーとを備え
るパワーエレメント部の外周縁を弁本体の上端部との間に挟み込み,弁本体の上端
10
部の外周部にインサート成形された固着部材にねじ結合されることで,固着部材に
螺着されている。そのため,弁本体内の圧力によってパワーエレメント部が浮き上
がり,また,上カバーが弾性変形をしようとしても,膨張弁の動作過程でパワーエ
レメント部の固定構造がゆるむようなことがなく,強度不足の発生を防止しようと
するものである。
したがって,かしめ結合に代えて螺着を採用していることは,当業者が適宜選
択すべき固定手段ではない。
カ本件補正発明によれば,パワーエレメント部の上カバーと下カバーの外周部
を確実に固定することで,パワーエレメント部内部の圧力に応じて応力が発生しや
すく,具体的には,インサート成形された固着部材を用いているので,弁本体が樹
脂製であっても,パワーエレメント部を弁本体に対してかしめによる場合とは比較
にならないほど強固に固定できるため,弁本体内の圧力によりパワーエレメント部
全体が浮き上がろうとするのを有効に防止でき,また,ねじ結合を用いているので,
パワーエレメント部の弁本体への固定作業も容易に行うことができるという,格別
の作用・効果を奏する(以下「作用効果1」という。)。
また,本件補正発明によれば,連結部材は,パワーエレメント部の外周縁を覆う
状態で弁本体に固定されるので,雌ねじを有する連結部材は材料的に最も厳しい状
態に置かれることが予想される当該外周縁を保護していることになる。このような
連結部材は,ねじ部分を形成するために相当の厚みをもって形成されるものであり,
例えば,流通過程における輸送・保管の場合や,冷凍サイクルへの組付け作業時に,
膨張弁が互いに又は多くの機器等がパワーエレメント部の外周縁に衝突しても,こ
れを損傷させるというような事態を未然に回避できるという作用・効果も奏する
(以下「作用効果2」という。)。
キ以上のとおり,本願補正発明は,引用発明,本件オリフィス構成,甲8技術
及び周知技術に基づいて当業者が容易に想到し得たものではなく,特許法29条2
項により,特許出願の際独立して特許を受けることができたものである。
11
(3) よって,本件補正を却下した本件審決の判断は誤りであって,本件審決は
取り消されるべきものである。

top



〔被告の主張〕


(1) 一致点の認定の誤りについて
ア引用発明のフランジは,かしめられた止め金具と協働することによって,
パワーエレメント部である制御機構を弁本体に固定する機能を果たしている(引用
例1【0032】【図1】)から,制御機構を弁本体に固定する部材という限りに
おいて,「固定用部材」といえる。
他方,本件補正発明の固着部材は,連結部材と螺着することでパワーエレメン
ト部が弁本体に固定されているから,連結部材と協働することによって,パワーエ
レメント部を弁本体に固定する機能を果たしており,パワーエレメント部を弁本体
に固定する部材という限りにおいて,「固定用部材」といえる。
イしたがって,引用発明の「フランジ」と本件補正発明の「固着部材」とは,
パワーエレメント部を弁本体に固定する具体的な構成(相違点2で認定されてい
る。)はさておき,「固定用部材」で共通する。したがって,一致点として認定さ
れた「連結部材によりパワーエレメント部の外周縁を弁本体の上端部に連結して固
定する」とは,「連結部材が固定用部材と協働することによりパワーエレメント部
の外周縁を弁本体の上端部に連結して固定する」ことを意味することが明らかであ
る。
ウ以上によれば,本件審決が一致点として「弁本体の上端部の外周部に固定
用部材が設けられ,連結部材によりパワーエレメント部の外周縁を弁本体の上端部
に連結して固定する膨張弁」と認定したことに誤りはない。

top



(2) 相違点2についての判断の誤りについて


ア膨張弁を含む圧力制御弁の技術分野において,パワーエレメント部の弁本
体への固定を,弁本体の上端部の外周部に上端部が内側に屈曲した筒状の連結部材
を螺着することにより,パワーエレメント部の外周縁を連結部材の上端部と弁本体
12
の上端部との間に挟み込むことで行うことは,本願出願前周知の技術事項である
(甲9,10)。他方,かしめ結合にも様々な問題点があることは,技術常識であ
る(乙4~6)。
したがって,パワーエレメント部の弁本体への固定手段としてどのような固定
手段を用いるかは,それぞれの固定手段を用いることによるメリット及びデメリッ
トを勘案して決定することが通常の設計思想であり,螺着の採用は,当業者が適宜
選択すべきことにすぎない。そして,パワーエレメント部の弁本体への固定手段と
してどのような手段を用いるかは,必要とされる組立ての精度や組立てのしやすさ
を考慮して,当業者が適宜選択すべきことにすぎず,本件補正発明が螺着を採用し
たのは,まさに,かしめ結合の上記問題点を考慮した上で,螺着とのメリット及び
デメリットを勘案した結果であり(本件補正明細書【0018】【図4】~【図
8】),格別なものではない。
イ引用例1には,弁本体を樹脂製にすることで軽量化を図ることが可能とな
る一方,合成樹脂が金属よりも低強度であることによる弊害が生じることが記載さ
れており(【0011】),その具体例として,弁座の損傷(【0011】)や,
クリープの発生(【0027】)が示されている。
他方,引用例2には,装置を樹脂化して軽量化をはかることの弊害として,樹
脂製のフランジ部に応力が作用することによりクリープが発生して気密性が損なわ
れることが示されており(【0005】),これを解決するためにフランジ部の外
周に金属板を施すことが記載されている(【0010】)。
ウさらに,ねじ結合部が樹脂で構成されている場合において,樹脂のクリー
プによりねじ部に緩みが生じ得ることは,技術常識である(乙1~3)から,当業
者は,樹脂製部材にねじを形成してねじ結合を行おうとする場合には,樹脂のクリ
ープによりねじ結合が確実に行われない可能性を普通に認識する。
そうすると,引用例2に接した当業者は,引用発明のパワーエレメント部の本
体への固定手段として,かしめ結合に代えて螺着を用いる際にもフランジに強度が
13
必要とされること,樹脂のクリープの発生を防止する必要があること及びこれらの
課題を解決するための金属の活用を認識することが明らかである。
そして,引用発明は,本件オリフィス構成を採用している点で,樹脂が金属よ
りも低強度であることから,樹脂の低強度が不都合となる箇所においては,金属部
材を設けることにより強度の確保を行い,金属部材を設ける手段として金属部材を
インサート成形している。
エ以上によれば,引用発明のパワーエレメント部の弁本体への固定手段とし
て,かしめ結合に代えて上記周知技術である螺着を採用し,その際に,フランジに
インサート成形により金属部材を形成することは,当業者が容易になし得たことで
ある。
また,原告の主張する作用効果2は,本件補正明細書に記載されていないし,
作用効果1及び2は,いずれも,引用例1,引用例2及び周知技術から把握される
作用効果の総和以上の効果ではない。
オなお,引用例1には,本件補正発明にいうパワーエレメント部の下カバー
の取付筒に雄ねじを形成することが高コストであることや取付作業が面倒になるこ
と(【0012】)や,かしめ結合によりこの不都合が解消されたこと(【004
7】)が記載されている。しかし,引用例1は,上記雄ねじを形成することの不具
合を示しているにすぎないから,これらの記載により,引用発明にいかなる螺着を
も採用することを妨げる理由とはならない。

top



2 取消事由2(審判手続における審理不尽)について




〔原告の主張〕


特許庁審判部は,平成21年11月10日付けで審尋を発したが,そこに掲載さ
れている前置報告書(甲5の1)には,新たに特開平8-291954号公報(甲
10)が示された。原告は,これを受けて,請求項2を削除して特許請求の範囲を
請求項1及び3に限定する補正案を示し,同請求項1及び3について審理を受ける
機会が与えられることを希望する旨を記載した回答書を提出した。
14
しかしながら,特許庁審判部は,上記回答書にかかわらず,それ以上に原告に何
ら意見を述べる機会を与えず,甲10を周知技術を記載した文献であるとの位置付
けで引用したばかりか,審判の過程で反論の機会が全く与えられなかった甲9を初
めて本件審決で引用し,本願発明が引用発明,本件オリフィス構成,甲8技術及び
周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるとして,本
件審判請求を拒絶した。
こうした審理の実体は,原告(審判請求人)の意見を述べる機会を奪うもので,
適正な審理を十分に尽くしたものとは到底いえない。したがって,本件審決は,取
り消されるべきである。



〔被告の主張〕


(1) 審判における審尋は,請求人の意見を事前に求めるものであって,請求人
に補正を促すものではないから,請求人が審尋に対する回答書に補正案や補正の用
意がある旨の回答をしたとしても,それを採用するかどうかは合議体の裁量権の範
囲内であって,必ず補正の機会を与えなければならないものではない。
(2) 本件審決は,本件補正発明が独立特許要件を欠くものと判断した結果,特
許法17条の2第5項が準用する同法126条5項に違反するので,同法159条
1項において読み替えて準用する同法53条1項の規定により,本件補正を却下し
た。
ところで,特許法159条1項及び2項は,同法53条1項及び50条ただし
書を,同法17条の2第1項4号の場合も含めるように読み替えて準用しており,
同法53条1項に基づき,拒絶査定不服審判においてされた補正の却下の決定をす
るときは,同法50条ただし書により,特許出願人に対し,拒絶の理由を通知する
必要はない旨を規定している。
したがって,本件審決は,拒絶の理由を通知することなしに審決中で理由を付
して補正の却下を行ったものであり,何ら違法性はない。
(3) また,甲9及び10は,本件審判において螺着が周知技術であることを裏
15
付けるために例示された文献にすぎないし,原告は,審査手続及び審判手続(甲4
の3)において,この点を指摘された上で上記の周知技術について既に意見を述べ
ており(甲3の2,4の3),他に意見を述べる機会や補正をする機会もあった。
なお,審決において,周知技術を裏付けるためにそれまでの手続にあらわれていな
かった資料の提出が許されることは,明らかである(最高裁昭和54年(行ツ)第
2号同55年1月24日第一小法廷判決・民集34巻1号80頁)。

top



第4 当裁判所の判断




1 取消事由1(本件補正を却下した判断の誤り)について




(1) 一致点の認定の誤りについて



ア引用発明は,前記第2の3(2)アに,本件補正発明は,前記第2の2(2)に,それぞれ記載のとおりであるところ,本件審決は,引用発明の「フランジ」が制御機構を弁本体に固定するために用いられるものであり,本件補正発明の「固着部材」がパワーエレメント部を弁本体に固定するために用いられるものであるから,両者が「弁本体の上端部の外周部に固定用部材が設けられ」る点で共通する旨を認定している。

ところで,ここで「固定用部材」とは,複数の部材を固定する際に用いられる部材を呼称するものとして,その機能に着目して一般に用いられる用語であるが,引用発明の「フランジ」と本件補正発明の「固着部材」とは,いずれも,上記のとおりパワーエレメント部を弁本体に固定する際に用いられる部材であって,その機能に着目した場合,共通する機能を有しているから,これらを上位概念としての「固定用部材」と呼称して,引用発明と本件補正発明との一致点として認定することに,何ら問題はない。

したがって,本件審決による上記一致点の認定に誤りはない。

イ以上に対して,原告は,前記「固定用部材」が連結部材その他とどのように関係するかや,パワーエレメント部を弁本体に固定するに当たってどのような技術的貢献があるのか不明であるばかりか,引用発明と本件補正発明とではパワーエレメント部の固定方法が異なるから,本件審決による前記一致点の認定に誤りがあるなどと主張する。

しかしながら,本件審決は,パワーエレメント部と弁本体との固定方法について相違点2で認定しているところ,相違点2との対比によれば,一致点における「固定用部材」が,パワーエレメント部を弁本体に固定する際に用いられる部材として共通の機能を果たしていることや,連結部材等との関係及びパワーエレメント部の弁本体への固定において果たす役割は,いずれも自ずと明らかであって,上記共通の機能に基づく「固定用部材」の認定に関する前記判断を左右するに足りないというべきである。

また,原告は,本件補正発明の「固定用部材」とパワーエレメント部の外周縁が置かれる弁本体の上端部との関係が一致点として特定されていないことをもって,「固定用部材」の一致点としての認定が失当である旨を主張する。

しかしながら,「固定用部材」の上記機能に鑑みると,その認定に当たって本件補正発明における「固定用部材(固着部材)」と弁本体の上端部との関係を一致点として特定するには及ばない。

したがって,原告の上記主張は,採用できない。

top



(2) 相違点2についての判断の誤りについて





ア引用発明の内容



引用例1(甲7)には,引用発明について要旨次の記載がある。

(ア) 従来の自動車用空調装置に組み込まれた膨張弁(以下「本件先行発明」という。)の弁本体は,金属製であったことにより,熱伝導率がよいために内部のオリフィスの開放量が正確に測定されないことによる不都合(【0009】),冷房効率の低下(【0010】),重量が重くなり,かといって合成樹脂で成形すると,合成樹脂は,金属より低強度であるため,弁体(金属製)が合成樹脂製の弁座に当接する動作が繰り返されて弁座が損傷する可能性があるという問題点(【0011】),制御機構が取付筒に形成された雄ねじと弁本体の内側に形成された雌ねじにより螺着されているが,雄ねじの形成にコストがかかり,かつ,取付けに当たり接着剤を使用する必要があり,取付作業が面倒になること(【0012】)などの課題があった。

そこで,引用発明は,弁本体を樹脂で成形し(【0015】),本件オリフィス構成で弁座の損傷を防ぎ(【0016】),制御機構を弁本体にかしめにて固着することで,取付けが容易かつ確実にできる(【0017】)ようにするなどの工夫をしたものである。

(イ) 引用発明の弁本体の樹脂としては,耐冷媒・冷凍機油性,耐破壊圧強度,耐クリープ性及び耐熱性に優れたポリフェニレンサルファイド樹脂が好ましい

(【0027】)。また,弁本体の上端部中央には,均圧室が開口して形成され,弁本体の上端部外周部にはフランジが形成されており,制御機構と弁本体とは,当該フランジの上部に制御機構の下蓋をパッキンを介して重ね,当該フランジとともに制御機構の外周部を覆うようにかぶせた円筒状の止め金具の上下部をかしめることにより固定されている(【0032】)。

(ウ) このように,引用発明は,弁本体を樹脂としたことで,軽量となり,配管が振動により破損するおそれもなく加工コストも安くなるばかりか,本件オリフィス構成により弁体の開閉作動によりオリフィスが破損するおそれがなく(【0046】),弁本体と制御機構との連結に筒状止め金具によるかしめ固定を採用したことにより,ねじ加工が不要となり非常に安価にできるとともに,ねじの緩みを防止する接着剤の塗布が不必要となり,確実かつ恒久的に接続することが可能となるものである(【0047】)。

top



イ本件補正発明の内容



本件補正明細書(甲1,2の3,3の3,4の4)には,本件補正発明について要旨次の記載がある。

(ア) 従来の膨張弁(引用発明)においては,パワーエレメント部がかしめ部材により樹脂製の弁本体にかしめ固定されているため,パワーエレメント部が金属製の弁本体に螺着されるもの(本件先行発明)に比較して,弁本体内の圧力によりパワーエレメント部全体が浮き上がり,また,パワーエレメント部の上カバーが弾性変形し,かしめ部材のかしめ部が緩んで強度不足や,更には膨張弁の動作機能を阻害したり,かしめ部分から水分が侵入することで様々な不都合が発生するおそれがある(【0018】)。

(イ) そこで,本件補正発明は,弁本体を樹脂で成形した上で,引用発明とは異なり,弁本体に環状の金属部材を固着部材としてインサート成形して雄ねじを形成し,他方,パワーエレメント部を弁本体に固着させるための上端部が屈曲した筒状の連結部材の内側には雌ねじを形成して,固着部材と連結部材とをねじ結合により螺着させるというものである(【0020】【0023】【0024】【0032】~【0035】【図2】)。

(ウ) 本件補正発明は,引用発明と同様に弁本体が樹脂で成形されていても,パワーエレメント部の固定が強度不足という問題は発生せず,膨張弁の動作に不具合が生じるおそれもなく,またその強度不足によって生ずる水分の侵入により不都合が生じるというおそれも発生しないものである(【0036】)。

top



ウ相違点2の容易想到性について



(ア) 引用例1は,前記のとおり,引用発明の弁本体の耐クリープ性に配慮して樹脂の素材の好例を記載しており(【0027】),また,強度の高い部材(例えば金属)と強度の低い部材(例えば樹脂)とによって構成された構造体に外力が加わった場合,強度の低い部材に応力が集中し,これが樹脂である場合にはクリープが発生することは,技術常識でもある。そして,樹脂製のフランジに対して金属部材をかしめ固定する技術に関する甲8技術が,樹脂にクリープが発生することを予防するためにフランジ部に金属板を備えていることを併せ考えると,引用発明のフランジに筒状止め金具をかしめ固定するに当たり,甲8技術に基づき,筒状止め金具が当接するフランジ部に金属板を備える構成を想到することは,当業者にとって容易であったといえる。

(イ) 次に,引用発明は,前記のとおり,本件オリフィス構成を採用している

(【0016】)。したがって,前記のとおり,引用発明のフランジ部に金属板を備える構成を採用する場合に,当該金属板を樹脂製の弁本体にインサート成形することは,引用例1自体に示唆があり,当業者にとって容易に想到可能であるといえる。

(ウ) また,一般に,膨張弁を含む圧力制御弁の技術分野において,円筒形のあ2つの部材を固定する手段として,かしめ固定のほかに,螺着という手段が存在することは,当業者にとって周知技術である(甲9,10)。

(エ) しかしながら,引用例1及び2には,前記フランジ部に金属板をインサート成形したとしても,この部分に雄ねじを,筒状止め金具の内側に雌ねじを,それぞれ形成して,両部材の固定に当たって前記周知技術である螺着という方法を採用することについては,いずれも何らこれを動機付け又は示唆する記載がない。

むしろ,引用発明は,本件先行発明の制御機構が,取付筒に形成された雄ねじと弁本体の内側に形成された雌ねじにより螺着されているが,雄ねじの形成にコストがかかり,かつ,取付けに当たり接着剤を使用する必要があり,取付作業が面倒になる(【0012】)という課題を解決するために,かしめ固定という方法を採用し(【0047】),本件先行発明が採用するねじ結合による螺着という方法を積極的に排斥したものである。したがって,引用例1及び2に接した当業者は,あくまでも制御機構(パワーエレメント部)と樹脂製の弁本体をかしめ固定により連結することを前提とした技術の採用について想到することは自然であるといえるものの,本件先行発明が採用していながら,引用例1が積極的に排斥したねじ結合による螺着という方法を想到することについては,阻害事由があるといわざるを得ない。

以上のとおり,引用例1及び2には,膨張弁のパワーエレメント部と樹脂製の弁本体の固定に当たり,弁本体の外周部にインサート成形した固着部材に雄ねじを,上端部が屈曲した筒状の連結部材の内側には雌ねじを,それぞれ形成して,両者をねじ結合により螺着させるという本件補正発明の相違点2に係る構成を採用するに足りる動機付け又は示唆がない。むしろ,引用発明は,それに先行する本件先行発明の弁本体が金属製であることによる問題点を解決するためにこれを樹脂製に改め,併せてパワーエレメント部と弁本体とを螺着によって固定していた本件先行発明の有する課題を解決するため,ねじ結合による螺着という方法を積極的に排斥してかしめ固定という方法を採用したものであるから,引用発明には,弁本体を樹脂製としつつも,パワーエレメント部と弁本体の固定に当たりねじ結合による螺着という方法を採用することについて阻害事由がある。しかも,本件補正発明は,上記相違点2に係る構成を採用することによって,パワーエレメント部の固定に強度不足という問題が発生せず,膨張弁の動作に不具合が生じるおそれもなく,またその強度不足によって生ずる水分の侵入により不都合が生じるというおそれも発生しないという作用効果(作用効果1)を発揮することで,引用発明が有する技術的課題を解決するものである。

したがって,当業者は,引用発明,本件オリフィス構成,甲8技術及び周知技術に基づいたとしても,引用発明について相違点2に係る構成を採用することを容易に想到することができなかったものというべきである。



エ被告の主張について



以上に対して,被告は,パワーエレメント部の弁本体への固定手段としてどのような手段を用いるかは当業者が適宜選択すべきことにすぎず,螺着という方法が周知技術であり,かしめ固定に様々な問題があることも技術常識であるし,引用例1の本件先行発明に関する記載が,本件先行発明における螺着の不具合を示しているにすぎないから,螺着という方法の採用自体を妨げるものではなく,当業者が,引用発明における固定手段としてかしめ固定に代えて螺着を採用することが容易にできた旨を主張する。

しかしながら,ねじ結合による螺着及びかしめ固定にそれぞれ固有の問題があることが周知ないし技術常識であるとしても,引用発明は,そのような技術常識の21中で,あえて本件先行発明が採用する螺着の問題点に着目し,これを解決するためにかしめ固定を採用したものである。すなわち,前記認定のとおり,引用例1は,本件先行発明が採用している螺着という方法を積極的に排斥している以上,相違点2に係る構成について引用発明のかしめ固定に代えて同発明が排斥している螺着という方法を採用することについては阻害事由があるのであって,これに反する被告の上記主張をもって,いずれも相違点2についての容易想到性に係る前記判断が妨げられるものではない。

よって,被告の上記主張は,採用できない。

オ小括

以上のとおり,本件補正発明は,特許法29条2項により引用発明に基づいて容易に発明をすることができたものではないから,平成18年法律第55号による改正前の特許法17条の2第5項が準用する同法126条5項にいう特許出願の際に独立して特許を受けることができたものであるといえる。

(3) よって,本件補正が同法17条の2第4項2号に掲げる特許請求の範囲の縮減を目的とするものに該当するとしながらも,本件補正発明に独立特許要件がないとして本件補正を却下した本件審決には,この点の判断を誤った違法があるといわなければならない。



2 結論



以上の次第であるから,原告主張の取消事由2について判断するまでもなく,本件審決は取り消されるべきものである。
知的財産高等裁判所第4部裁判長裁判官 滝 澤 孝 臣22裁判官 高 部 眞規子裁判官 井 上 泰 人
top

Last Update: 2011-02-04 01:02:07 JST

top
……………………………………………………判決末尾top
メインサイト(Sphinx利用)GAE利用サイト知財高裁のまとめjimdoサイト携帯サイト

特許:【容易想到性】「事実認定」:(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10156号審決取消請求事件))





目 次


特許:【容易想到性】「事実認定」:(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10156号審決取消請求事件))




知的財産高等裁判所第4部「滝澤孝臣コート」

top



H230204現在のコメント


(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10156号審決取消請求事件))

容易想到性の事実認定です。

引例,明細書の記載の数値を計算して「実質的な相違点」と認めないという手法をとっています。

実質的な相違点と認めなかったことが,顕著な効果を認めない認定につながっています。

top



縮小版なし・判決原文(引用)


(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10156号審決取消請求事件))



2 取消事由2(相違点1についての判断の誤り)について【容易想到性】「相違点の認定,事実認定」


(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10156号審決取消請求事件))

(1) 本件明細書の記載を参酌すると,相違点1は,前記1(1)ア(イ)に記載のとおり,サポート及び有効層の材料を熱膨張率に注目して限定したものと認められる(【0011】~【0014】)。

(2) 他方,引用発明の「第2基板」(本願発明の「サポート」に相当する。)は,シリコンからなり,引用発明は,シリコン炭化物からなる「半導体材料層であるSiC層」(本願発明の「シード層」に相当することは,前記のとおりである。)上にシリコン炭化物又は窒化ガリウムを層状に形成するものである。

そして,シリコン炭化物の熱膨張率は,3.7×10-6/℃(周知例1【0029】)又は4.6×10-6/℃(周知例2【0004】)であり,窒化ガリウムの熱膨張率は,5.59×10-6/K(周知例3【0005】)であるのに対し,シリコンの熱膨張率は,3.5×10-6/℃(周知例1【0007】),4.4×10-6/℃(周知例2【0004】)又は4.7×10-6/K(周知例3【0005】)である。

したがって,シリコンの熱膨張率は,シリコン炭化物の熱膨張率に対し,周知例1の記載に基づく場合,約0.95倍であり(3.5×10-6/3.7×10-6=0.95),周知例2の記載に基づく場合であっても,約0.96倍である(4.4×10-6/4.6×10-6=0.96)。

また,シリコンの熱膨張率は,窒化ガリウムの熱膨張率に対し,周知例3の記載に基づくと,約0.84倍である(4.4×10-6/5.59×10-6=0.84)。

以上によれば,引用発明において,第2基板(サポート)を構成するシリコンの熱膨張率が,有効層を構成するシリコン炭化物又は窒化ガリウムの熱膨張率の0.7倍から3倍の範囲に含まれることは,明らかであって,相違点1は,実質的な相違点といえない。

(3) また,引用例には,「連続して形成されるシリコン,シリコン炭化物,及びガリウム窒化物は,かなり異なる熱膨張係数を有する。従ってかなりの応力と高欠陥密度がこのタイプの基板上にガリウム窒化物を形成する間に生ずる。」との記載があり,周知例3には,シリコン基板上に窒化ガリウム系半導体層を成長させるこ とが困難であった原因として,両者の熱膨張率の差が挙げられており,このために引っ張り応力が生じてクラック(亀裂)又はゆがみが生ずることが記載されている(【0005】)。

以上によれば,エピタキシー技術により基板を製造する際に,基板を構成する複数の半導体層のそれぞれの熱膨張率の差が大きいと,応力が生じて亀裂等の欠陥が発生することは,本願優先権主張日当時において,周知の技術事項であったものと認められる。

したがって,引用発明が第2基板(サポート)と有効層との熱膨張率の比率の範囲を構成要件として規定していないとしても,引用発明において,亀裂等の欠陥が発生しないように,当該比率の範囲を適宜のものとすることは,当業者が適宜考慮し得る事項であって,引用発明について相違点1に係る構成を採用することも,容易に想到できるものであったというべきである。

(4) よって,以上と同旨の本件審決の判断に誤りはない。

(5) 以上に対して,原告は,引用発明が熱膨張率の範囲の規定を意図しないものである旨を主張する。

しかしながら,前記(3)の引用例の記載によれば,引用例が第2基板(サポート)と有効層との熱膨張率の比率について配慮していることが明らかであるから,原告の主張は,採用できない。

top



3 取消事由3(相違点2についての判断の誤り)について【容易想到性】「顕著な効果,事実認定」


(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10156号審決取消請求事件))

(1) 周知例4は,「光半導体チップおよび光半導体チップの製造方法」という名称の発明に係る公開特許公報であるが,周知例4には,光半導体チップの薄型化をはかるために,化合物半導体の結晶からなる半導体積層部を備えた光半導体チップであって,当該半導体積層部は,その結晶成長に用いられた基板とは異なる代替支持材に接着されており,かつ,当該半導体積層部から当該基板が除去されているものについての記載がある(【要約】欄中の【課題】【課題解決手段】)。

また,周知例5は,「薄膜半導体,太陽電池および発光素子の製造方法」という名称の発明に係る公開特許公報であるが,周知例5には,半導体基体の表面に多孔質層を形成して加熱し,多孔質層の表面にエピタキシーによりエピタキシャル半導体膜を形成した上でこれを接着剤の塗布と外力により半導体基体から剥離してエピタキシャル半導体膜による薄膜半導体を得て,当該薄膜半導体に付着した多孔質層をエッチングにより除去する技術が開示されている(【0075】~【0084】)。さらに,周知例6は,「半導体発光素子及びその製造方法並びに半導体発光装置」という名称の発明に係る公開特許公報であるが,周知例6には,サファイア基板の上に窒化ガリウム層,窒化ガリウム・アルミニウム層などをMOCVD(有機金属気相成長法)などによって成長させ,フォトリソグラフィ法などを用いて半導体レーザのメサストライフ部などを形成した後,レーザの多層構造部を下にして治具にワックスなどで貼り付けた上で,応力を加えて窒化ガリウム・アルミニウム層の界面付近から基板を剥離する技術が記載されている(【0030】~【0033】)。

(2) 以上のとおり,半導体製造方法の分野において,基板上に半導体層を成長させた後,半導体層を基板から分離することは,複数の公開特許公報に記載されていることに照らすと,本願優先権主張日当時において,周知の技術事項であったものと認められる。

したがって,引用発明について上記周知技術を組み合わせることで,有効層をサポートから分離することは,当業者が必要に応じて容易に想到できたものといえる。よって,これと同旨の本件審決の判断に誤りはない。


top
(3) 以上に対して,原告は,本願発明において有効層をサポートから分離することが,コスト削減効果が得られるので当業者が必要に応じて適宜なし得る程度のことではない旨を主張する。しかしながら,コストの削減という効果は,前記周知技術においても同様に期待できるものであって,格別に顕著な効果であるとはいえないから,容易想到性に関する上記判断を妨げるものではない。

よって,原告の上記主張は,採用できない。

top

(3) 以上に対して,原告は,本願発明において有効層をサポートから分離することが,コスト削減効果が得られるので当業者が必要に応じて適宜なし得る程度のことではない旨を主張する。しかしながら,コストの削減という効果は,前記周知技術においても同様に期待できるものであって,格別に顕著な効果であるとはいえないから,容易想到性に関する上記判断を妨げるものではない。

よって,原告の上記主張は,採用できない。

top



4 取消事由4(本願発明の作用効果に係る判断の誤り)について【容易想到性】「格別な作用効果,事実認定」


(知財高裁平成23年2月3日判決(平成22年(行ケ)第10156号審決取消請求事件))

(1) 前記1(1)ア(イ)に記載のとおり,本願発明は,従来技術による有用薄膜(有効層)における転位の形成及び亀裂の発生という技術課題を解決することもその目的としている(本件明細書【0009】~【0014】)。

他方,前記2(2)及び(3)に記載のとおり,引用発明は,エピタキシー技術により基板を製造する際に,基板を構成する複数の半導体層のそれぞれの熱膨張率の差が大きいと,応力が生じて亀裂等の欠陥が発生するという技術事項を念頭に置いた上で,シリコンからなる「第2基板」を採用し,シリコン炭化物からなる「半導体材料層であるSiC層」上にシリコン炭化物又は窒化ガリウムを層状に形成するものであって,相違点1は,実質的な相違点ではなく,本願発明の相違点1に係る構成を採用することは,当業者にとって容易に想到することができる。

したがって,引用発明は,上記のような層構造により,転位の形成及び亀裂の発生という技術課題を解決していることが明らかであるから,これらを解決するという本願発明の上記作用効果は,格別なものとはいい難く,他に本願発明に格別の作用効果があると認めるに足りる証拠はない。

20 top


よって,本願発明の作用効果に相違点1及び2の容易想到性に関する前記の判断を左右するに足りる格別なものは認められず,これと同旨の本件審決の判断に誤りはない。

(2) 以上に対して,原告は,事前に原子種の注入により脆弱化された脆弱化領域の面で分離されるため,本願発明において転写されたシード層の表面が平滑になり,更にその上にエピタキシーした結果として,クラックのない良質な半導体基板の提供が可能になるという作用効果が得られる旨を主張する。

しかしながら,事前に脆弱化された脆弱化領域の面において分離採取したものであることによって,シード層の表面が平滑になり,更に良質の半導体基板の提供が可能になることについては,本件明細書に何らこれを裏付ける記載がなく,その技術的根拠も明らかではない。また,前記1(1)ア(エ)に記載のとおり,本願発明におけるシード層とソース基板の分離は,熱処理,機械応力の印加及び化学的攻撃 (化学的エッチング)を含む操作のうちの1つ又は2つを組み合わせて行われる(本件明細書【0036】)ところ,これらによったとしても,上記のような作用効果が得られるとは限らない。さらに,前記1(1)ア(オ)に記載のとおり,本願発明においては,シード層とソース基板との分離と,シード層上での有効層のエピタキシーとの間に,選択的にシード層の表面の研磨,焼きなまし,つや出し焼きなまし等の準備操作が想定されている(本件明細書【0044】)から,事前に原子種 の注入により脆弱化された脆弱化領域の面で分離されることと,シード層の表面が平滑になり,ひいて良質の半導体基板が提供されることとは,直接関係がないものといわざるを得ない。

よって,原告の上記主張は,採用できない。

top



判決原文(全文)




平成22(行ケ)10156 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟平成23年02月03日 知的財産高等裁判所 


1
top



平成23年2月3日判決言渡同日原本受領裁判所書記官平成22年(行ケ)第10156号審決取消請求事件


口頭弁論終結日平成23年1月18日



判 決





主 文



1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。



事実及び理由





第1 請求



特許庁が不服2008-3120号事件について平成21年12月21日にした審決を取り消す。


top



第2 事案の概要



本件は,原告が,下記1のとおりの手続において,原告の本件出願に対する拒絶査定不服審判の請求について,同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は下記3のとおり)には,下記4の取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。

top



1 特許庁における手続の経緯



(1) 本件出願(甲8,9)及び拒絶査定

発明の名称:基板,特に光学,電子工学または電子光学用基板の製造方法,およびこの製造方法により得られる基板

出願番号:特願2002-544758号

出願日:平成13年11月26日

パリ条約による優先権主張日:平成12年(2000年)11月27日(フランス)

拒絶査定日:平成19年10月31日



(2) 審判請求及び本件審決



審判請求日:平成20年2月12日

審決日:平成21年12月21日

審決の結論:本件審判の請求は,成り立たない。

審決謄本送達日:平成22年1月18日

top



2 本願発明の内容


本件出願に係る特許請求の範囲の請求項1の発明(ただし,平成21年11月1
2日付け手続補正書(甲11)による補正後のものである。以下「本願発明」とい
い,本願発明に係る明細書(甲8,9,11)を「本件明細書」という。)は,次
のとおりである。文中の「/」は,原文における改行を示す。
光学,電子工学または電子光学用基板の製造方法であって,/-サポートとソー
ス基板のシード層との間の接着界面における分子付着と,シード層の分離による,
サポート上へのシード層の転写の工程と,/-シード層上における有効層のエピタ
キシーの工程とを含み,/前記サポートが,熱膨張率が有効層の熱膨張率の0.7
倍から3倍の材料から構成されており,/前記シード層の厚さに対応した深さのソ
3
ース基板に,原子種を注入することにより,事前に脆弱化された脆弱化領域の面を
形成し,/サポートにソース基板を,接着界面において分子付着し,/前記脆弱化
領域の面において,シード層を分離して採取することで,サポート上にシード層を
転写し,/該シード層に有効層をエピタキシーし,/前記有効層を,サポートから
分離することを特徴とする,光学,電子工学または電子光学用基板の製造方法

top



3 本件審決の理由の要旨



(1) 本件審判の理由は,要するに,本願発明は,本願優先権主張日前に頒布された刊行物である下記アの引用例に記載された発明(以下「引用発明」という。)と下記イないしキの周知例1ないし6に記載の周知技術から当業者が容易に発明をすることができたものである,というものである。

ア引用例:国際公開第99/39371号(甲1)

イ周知例1:特開平8-316369号公報(甲2)

ウ周知例2:特開平5-221723号公報(甲3)

エ周知例3:特開平11-284224号公報(甲4)

オ周知例4:特開平11-168236号公報(甲5)

カ周知例5:特開平10-135500号公報(甲6)

キ周知例6:特開2000-101139号公報(平成12年4月7日公開。甲7)

(2) 引用発明並びに本願発明と引用発明との一致点及び相違点は,以下のとおりである。なお,本件審決が認定した引用発明は,「第1基板の一方の面上に半導体材料層を形成する段階,前記第1基板の前記面の下の,前記半導体材料層の近傍にイオンを注入し,前記第1基板に表面層を規定する,前記半導体材料層に接触する劈開ゾーン…」とされていたが,この部分にフランス語からの誤訳が含まれており,正しくは下記アのとおり翻訳されることについては,当事者間に争いがない。ア引用発明:第1基板の一方の面上に半導体材料層を形成する段階,前記第1基板の前記面の下の,前記半導体材料層の近傍にイオンを注入し,前記半導体材料層に接触する前記第1基板の表面層を規定する,劈開ゾーンと呼ばれるゾーンを形成する段階,半導体材料層を用いて,第1基板を支持基板上に移す段階であって,半導体材料層が前記支持基板と一体に形成されている段階,前記劈開ゾーンに沿って第1基板の劈開を行うためのエネルギーを供給する段階であって,第1基板の表面層はこの劈開の間半導体層と支持基板とに一体のままである段階,前記表面層を除去して半導体材料層を露出する段階,を含み,支持基板とこの支持基板の一面上に形成した半導体材料層とを備えた構造を製造する方法であって,前記表面層を除去した後,半導体材料層の膜厚をこの層の上にシリコン炭化物エピタキシーによって500nmから1μmまで増加するか,半導体材料層上にヘテロエピタキシーによって半導体材料であるGaN層を形成する製造方法において,前記第1基板を支持基板上に移す段階は,シリコン酸化物層(14)を前記半導体材料層であるSiC層上に蒸着し,前記第1基板を,一方の面にシリコン酸化物層(24)を有するシリコンから成る支持基板に近づけ,これらの酸化物層(14)及び(24)が互いに向き合うように方向付け,前記酸化物層は分子吸着によって互いに結合する段階を備える,製造方法

イ一致点:光学,電子工学又は電子光学用基板の製造方法であって,-サポートとソース基板のシード層との間の接着界面における分子付着と,シード層の分離による,サポート上へのシード層の転写の工程と,-シード層上における有効層のエピタキシーの工程とを含み,前記シード層の厚さに対応した深さのソース基板に,原子種を注入することにより,事前に脆弱化された脆弱化領域の面を形成し,サポートにソース基板を,接着界面において分子付着し,前記脆弱化領域の面において,シード層を分離して採取することで,サポート上にシード層を転写し,該シード層に有効層をエピタキシーする,光学,電子工学又は電子光学用基板の製造方法ウ相違点1:本願発明では,サポートが,熱膨張率が有効層の熱膨張率の0.7倍から3倍の材料から構成されているのに対して,引用発明では,サポートと有効層の熱膨張率の関係が不明である点

5

エ相違点2:本願発明は,有効層をサポートから分離するのに対して,引用発明は,有効層をサポートから分離するのかどうか不明である点

top



4 取消事由



引用発明からの容易想到性についての判断の誤り

(1) 一致点及び相違点の認定の誤り(取消事由1)

(2) 相違点1についての判断の誤り(取消事由2)

(3) 相違点2についての判断の誤り(取消事由3)

(4) 本願発明の作用効果に係る判断の誤り(取消事由4)

top



第3 当事者の主張




1 取消事由1(一致点及び相違点の認定の誤り)について




〔原告の主張〕


(1) 本件審決は,引用発明の「半導体材料層であるSiC層」が本願発明の
「シード層」に相当する旨の判断をしている。
(2) しかしながら,本願発明における「シード層」は,シード層の厚さに対応
した深さのソース基板に原子種を注入することにより,事前に脆弱化された脆弱化
領域の面を形成し,その後の工程で,当該脆弱化領域の面においてシード層を分離
して採取することで得られるもの,すなわち,脆弱化領域の面が分離後にシード層
の表面を形成するものであり,シード層とソース基板とは,同一の材料である。
他方,引用発明の製造方法における劈開ゾーンの劈開面は,分離後,半導体材料
層と劈開ゾーンとの間に存在する表面層の表面を形成するものであり,表面層と半
導体材料層とは異なる材料のものである。しかも,引用発明によれば,引用発明の
半導体材料層にエピタキシーするために形成する開放面は,劈開面に沿って形成さ
れず,「半導体材料層であるSiC層」に接触する表面層を除去することで得られ
ることになるが,これは,本願発明が,脆弱化領域の面においてシード層を分離し
て採取することでシード層を転写する方法とは相違する。
このように,引用発明の「半導体材料層であるSiC層」は,本願発明の「シー
6
ド層」とは相違する。
(3) 以上によれば,本件審決の認定した一致点は,下記の下線を付した部分が
一致しないという点で,誤りである。
「光学,電子工学又は電子光学用基板の製造方法であって,-サポートとソース
基板のシード層との間の接着界面における分子付着と,シード層の分離による,サ
ポート上へのシード層の転写の工程と,-シード層上における有効層のエピタキシ
ーの工程とを含み,前記シード層の厚さに対応した深さのソース基板に,原子種を
注入することにより,事前に脆弱化された脆弱化領域の面を形成し,サポートにソ
ース基板を,接着界面において分子付着し,前記脆弱化領域の面において,シード
層を分離して採取することで,サポート上にシード層を転写し,該シード層に有効
層をエピタキシーする,光学,電子工学又は電子工学用基板の製造方法」
むしろ,本願発明と引用発明とは次の点で相違するが,本件審決は,これを相違
点として認定していない誤りがある。
「引用発明では,表面層を除去することで半導体材料層を露出する段階を必須の
工程として含み,上記表面層を除去した後で,半導体材料層の膜厚を,この層の上
にシリコン炭化物をエピタキシーによって増加するのに対し,本願発明では,シー
ド層を除去することなく,当該シード層上に有効層をエピタキシーする点」
(4) なお,被告は,本願発明の技術的意義が,有効層の成長シードとして「基
板」を使用していたことによる問題点を解決するために「基板」より薄い,サポー
ト上の「シード層」を用いることにある旨を主張するが,本願発明の技術的意義は,
これに限られず,むしろ,先行技術の方法によって得られたものより優れた品質の
有用薄膜を製造することができる方法を提供することにも認められる。
また,本願発明のシード層の分離が,熱処理,機械応力の印加及び化学的エッチ
ングの組合せを用いてもよいことは認める。しかし,本願発明(【請求項1】)を認
定するに当たり,本願発明を引用する【請求項10】を参酌することは,妥当では
なく,【請求項10】に係る発明は,上記の方法で本願発明におけるシード層の分
7
離を行うことで,本願発明よりも更に高品質の有用薄膜が得られることを意図した
ものにすぎないと解釈されるべきである。
さらに,本願発明のシード層は,脆弱化領域の面において分離して採取したもの
であり,対象物を完全に取り除く除去の処理を必要とするものではなく,より良い
品質のものを得るために付加的にエッチング等の処理をすることができるものであ
る。したがって,本願発明において「除去することなく」を明示的に構成要素とし
て示す必要はないし,「機械応力の印加と化学的エッチングの組合せ」に係る手法
を構成要素とすることも,妥当ではない。

top



〔被告の主張〕


(1) 本願発明の「シード層」は,ソース基板から分離してサポート上に転写さ
れ,その上に有効層をエピタキシーするものであるが,本件明細書の記載(【00
19】【0021】)によれば,本願発明の技術的意義は,従来技術においては有効
層のための成長シードとして「基板」を使用していたことによる問題点を解決する
ため,基板より薄いサポート上の「シード層」を用いることにある。そして,本件
明細書の記載(【請求項10】【0036】)によれば,上記のシード層の分離は,
熱処理,機械応力の印加及び化学的エッチングのいずれか1つ又はその組合せによ
ることが明らかである。
他方,引用発明の「半導体材料層であるSiC層」は,「第1基板」(本願発明の
「ソース基板」に相当)から分離して「支持基板」(本願発明の「サポート」に相
当)上に転写され,その上に「シリコン炭化物」又は「GaN層」(本願発明の
「有効層」に相当)をエピタキシーするものであるが,引用発明は,引用例の記載
によれば基板に代えて基板より薄い「支持基板」(本願発明の「サポート」に相
当)でエピタキシーが行われるのであるから,本願発明の上記技術的意義を備えて
いる。そして,引用発明では,「半導体材料層であるSiC層」を,①第1基板の
劈開を行う段階と,②「表面層を除去」する段階との2つの段階によって第1基板
から分離するものであるところ,この分離の手法は,本願発明の「シード層」の分
8
離の手法のうち,①機械応力の印加と②化学的エッチングの組合せを用いた手法と
一致する。
(2) したがって,引用発明の「半導体材料層であるSiC層」は,本願発明の
「シード層」に相当することが明らかである。併せて,引用発明は,本願発明の
「サポートとソース基板のシード層との間の接着界面における分子付着と,シード
層の分離による,サポート上へのシード層の転写の工程」を備えるといえる。
(3) さらに,本願発明は,「シード層を除去することなく当該シード層上に有効
層をエピタキシーする」との構成を明示的に有するものではない。

top



2 取消事由2(相違点1についての判断の誤り)について




〔原告の主張〕


(1) 本件審決は,相違点1について,シリコン炭化物又は窒化ガリウム(Ga
N)の熱膨張率に対して,シリコンの熱膨張率が,本願発明で規定される「0.7
倍から3倍」の範囲に含まれるものであるから,実質的な相違とはいえないし,引
用発明において有効層の熱膨張率に対するサポートの熱膨張率を適宜の範囲のもの
とすることも当業者が適宜考慮し得る程度の事項である旨を説示する。
(2) しかしながら,引用発明は,熱膨張率の範囲の規定を意図しないことが明
らかであるから,他の文献に記載された数値を参照したとしても,相違点1が実質
的な相違であることに変わりはないし,引用発明について有効層の熱膨張率を「0.
7倍から3倍」の範囲のものと限定することは,当業者が設計上適宜考慮し得る程
度の事項ではない。
(3) したがって,本件審決は,相違点1についての判断を誤っている。

top



〔被告の主張〕


(1) 引用発明の「サポート」は,シリコンであり,「有効層」は,シリコン炭化
物又は窒化ガリウムであるところ,シリコン炭化物の熱膨張率(周知例1【002
9】,周知例2【0004】)に対するシリコンの熱膨張率は,0.95倍ないし1.
27倍(周知例2【0004】,周知例3【0005】)であり,また,窒化ガリウ
9
ムの熱膨張率(周知例3【0005】)に対するシリコンの熱膨張率は,0.79
倍(周知例2【0004】)又は0.84倍(周知例3【0005】)であるから,
シリコン炭化物又は窒化ガリウムの熱膨張率に対して,シリコンの熱膨張率は,本
願発明で規定される「0.7倍~3倍」の範囲に含まれる。
したがって,引用発明は,本願発明の「前記サポートが,熱膨張率が有効層の熱
膨張率の0.7倍から3倍の材料から構成されており」との構成を実質的に備える
ものといえる。
(2) 引用例及び周知例3(【0005】)の記載によれば,エピタキシーを利用
して基板を製造する際に,基板を構成する複数の半導体層のそれぞれの熱膨張率の
差が大きいと応力が生じクラック等の欠陥が発生することは,本願優先権主張日当
時に周知の技術事項であったといえるから,引用発明が熱膨張率の範囲を規定して
いなくても,引用発明において,有効層の熱膨張率に対するサポートの熱膨張率を
適宜の範囲のものとすることは,当業者が設計上適宜考慮し得る程度の事項であり,
この範囲を「0.7倍から3倍」とすることに格別の困難性はない。そして,本件
明細書の記載(【0011】~【0014】)によれば,上記の「0.7倍から3
倍」との範囲は,設計的事項について適宜の範囲を定めたにすぎない。
(3) よって,原告の主張には理由がない。

top



3 取消事由3(相違点2についての判断の誤り)について





〔原告の主張〕


(1) 本件審決は,引用発明において有効層をサポートから分離することが,当
業者が必要に応じて適宜なし得る程度のことである旨を説示する。
(2) しかしながら,本願発明において有効層をサポートから分離することは,
一連の工程を経て分離することでコスト削減効果が得られるので,当業者が必要に
応じて適宜なし得る程度のことではない。
(3) したがって,本件審決は,相違点2についての判断を誤っている。



〔被告の主張〕


半導体製造方法の分野において,基板上に半導体を成長させた後,半導体層を基板から分離することは,本願優先権主張日当時において当業者に周知の技術事項であったと認められる(周知例4【要約】欄の【課題】【解決手段】,周知例5【0075】~【0084】,周知例6【0030】~【0033】)から,引用発明において,有効層をサポートから分離することは,当業者が必要に応じて適宜なし得る程度のことであるし,これによるコスト削減の効果も,格別顕著なものとはいえない。

top



4 取消事由4(本願発明の作用効果に係る判断の誤り)について





〔原告の主張〕



(1) 本件審決は,本願発明に格別顕著な効果が認められない旨を説示する。

(2) しかしながら,本願発明は,シリコン基板上に窒化ガリウムを堆積させる際の転位の形成(本件明細書【0009】)を克服し,更に,先行技術の方法によって得られたものより亀裂及び転位濃度に関して優れた品質の有用薄膜を製造することができる(本件明細書【0010】)点で,当業者が予測し得る域を超えるほどの格別顕著な効果を奏するものである。

なお,本願発明において,転写されたシード層は,事前に原子種の注入により脆弱化した脆弱化領域の面において,分離することで形成されるものである。そのため,転写されたシード層の表面が平滑になり,さらにその上に有効層をエピタキシーした結果として,均等に一体化し,クラックのない良質な半導体基板の提供が可能になるという作用効果は,必然的に得られるから,これを本件明細書に記載するまでもない。しかるに,本件審決は,この点の判断を誤り,上記必然的な結果について記載がないことをもって原告の主張を排斥する誤りを犯している。

(3) なお,【請求項10】は,本願発明のシード層の分離において,熱処理,機械応力の印加及び化学的エッチングの組合せを用いることを記載しているが,シード層の分離は,この方法に限られるものではないから,この方法による分離ではその表面が平滑にならないことがあり得るものと推測するのは妥当ではないし,また,

11 top

この方法は,本願発明のものと比較しても更により高品質の有用薄膜が得られるようになるものである。



〔被告の主張〕



本件明細書の記載(【0009】【0010】)によれば,本願発明は,シリコン基板上に窒化ガリウムを堆積させる際の転位の形成という課題を解決するという効果を有するものであるところ,当該課題は,炭化シリコン層である半導体材料層上に窒化ガリウム層を形成する引用発明においても同様に解決されているから,原告の主張をもって,本願発明が格別顕著な効果を有するとはいえない。

また,本件明細書には,「脆弱化領域で分離して採取したシード層の表面が平滑なものとなり,当該シード層がエピタキシーによる有効層と均等に一体化すること等により,クラックのない良質な半導体基板の提供が可能になる」旨が記載されていない。そして,「転写されたシード層の表面が,事前に脆弱化された脆弱化領域の面において分離したものである」との構成から必然的に,平滑になるという効果が得られると認めるべき根拠は,本件各証拠を通じてみても見出すことができない。むしろ,前記のとおり,本願発明における「シード層」の分離は,熱処理,機械応力の印加及び化学的エッチングの組合せを用いてもよいことに照らせば,本願発明においては,単に転写されたシード層を分離しただけでは,その表面が平滑にならないことがあり得るものとして想定されていることが推測できる。

したがって,この点に関する原告の主張は,本願発明の構成及び本件明細書の記載に基づかないものであって,失当である。


top



第4 当裁判所の判断





1 取消事由1(一致点及び相違点の認定の誤り)について



(1) 本願発明の内容

ア本願発明は,前記第2の2に記載のとおりであるが,その技術的意義を明らかにするために本件明細書を参酌すると,発明の詳細な説明として,要旨次の記載がある。

12 top

(ア) 光学,電子工学又は電子光学の分野では,基板の上に例えば窒化ガリウムによる有用薄膜(有効層)を備えたものの製造が望まれている。しかし,窒化ガリウムは,ヘテロ・エピタキシー技術によってしか成長させることができないところ,薄膜を採取する方法によると,従来技術では使用が困難であり,また,サポート基板上での堆積させる方法によると,従来の技術では成長が不十分な材料である(【0002】)。

また,薄膜を得るためにそのサポートを除去する従来技術は,材料の大部分を損失したり(【0004】),薄膜の品質低下などをもたらす危険性を有するものであった(【0006】)。

そこで,本願発明は,このような材料による薄膜の製造に関する従来技術による上記の不都合を緩和することを目的としている(【0006】)。

(イ) さらに,窒化ガリウムをヘテロ・エピタキシーにより成長させるために基板としてシリコンを利用すると,転位の形成及び有用薄膜の亀裂が生じるという問題がある(【0009】)ことから,従来の技術によるものよりも優れた品質の有用薄膜を製造するという目的を達成するため(【0010】),本願発明は,サポートが,熱膨張率が有効層の熱膨張率の0.7倍から3倍の材料から構成されることで,有効層が成長する際の温度の変動に伴う張力や圧縮応力を除去するものである(【0011】~【0014】)。

(ウ) ところで,有効層(有用薄膜)のための成長シードとして,従来,単結晶炭化シリコン又はサファイアからなる基板が使用されてきたが,これらの基板は,電気接触の位置決定等を満足な状態で抑制することはできないばかりか,これらの基板が高価で,直径の大きさにも限りがあるという問題を有していた。そこで,本願発明は,これらの問題を解決するために,サポート上の薄いシード層を用いるものであり(【0019】【0021】),シード層は,単結晶シリコン炭化物,シリコン,サファイア,単結晶窒化ガリウムなどを含むものである(【0046】【0069】【0079】)。

(エ) 本願発明におけるシード層とソース基板の分離は,熱処理,機械応力の印13加及び化学的攻撃を含む操作のうちの1つ又は2つを組み合わせて行われる(【0036】)。

(オ) なお,本願発明においては,シード層とソース基板との分離と,シード層上での有効層のエピタキシーとの間に,選択的にシード層の表面の研磨,焼きなまし,つや出し焼きなまし等の準備操作が想定されている(【0044】)。

イ本件特許出願に係る請求項は,全部で13項であるところ,その【請求項10】の記載は,次のとおりである。

「前記シード層の分離が,熱処理,機械応力の印加,および化学的エッチングの中の一つの操作,またはこれらの操作の少なくとも二つの組み合わせを用いて実現されることを特徴とする,請求項1に記載の製造方法」

top



(2) 引用発明との一致点の認定について



ア原告は,引用発明の「半導体材料層であるSiC層」が本願発明の「シード層」に相当するとの本件審決の認定が誤りである旨を主張する。

イそこで検討すると,本願発明は,前記(1)ア(ウ)に記載のとおり,従来技術において有効層のための成長シードとして基板を使用していたことによる問題を解決するために,サポート上の薄いシード層を用いるものであるから(【0019】【0021】),本願発明の「シード層」は,有効層がエピタキシーされるための成長シードとしての機能を発揮するものであって,その材料も,単結晶シリコン炭化物を含むものである(【0046】【0069】【0079】)。

他方,引用発明の「半導体材料層であるSiC層」は,シリコン炭化物で形成され,第1基板の表面に,厚さ5ないし10nmのオーダーで薄く形成されるもので,「半導体材料層の膜厚をこの層の上にシリコン炭化物エピタキシーによって500nmから1μmまで増加するか,半導体材料層上にヘテロエピタキシーによって半導体材料であるGaN層を形成する」ものであり,これらのシリコン炭化物エピタキシーにより形成される層又は窒化ガリウム層が本願発明の「有効層」に相当するから,有効層のための成長シードとして利用される薄い層である点では,本願発明の「シード層」と形態及び機能を同じくし,材料も重複するものである。

ウ次に,本願発明におけるシード層とソース基板との「分離」の方法について

本件明細書の発明の詳細な説明を参酌すると,前記(1)ア(エ)に記載のとおり,熱処理,機械応力の印加及び化学的攻撃の操作のうちの1つ又は2つ以上の組合せを用いて行われる旨の記載がある(【0036】)。そして,ここに「化学的攻撃」とは,技術常識に照らして化学的エッチングと同義と認められるから,本願発明におけるシード層とソース基板との「分離」は,熱処理及び化学的エッチングを組み合わせたものを含むものと認められる。

他方,引用発明における劈開ゾーンに沿った劈開の段階においては,まず,劈開を生ずるための十分な加熱スケジュールによって熱処理が続けられるか,あるいは他の熱処理が行われる。次いで,表面層を除去する段階において,例えばTMAH溶液を用いた湿式化学的浸食によって基板から除去する。そして,ここでいうTMAH溶液を用いた湿式化学的浸食は,化学的エッチングの一手法であるから,引用発明は,本願発明と同じく,第一基板の劈開ゾーンに沿った劈開に当たって熱処理を行い,次いで化学的エッチングを行うものであって,「半導体材料層であるSiC層」は,本願発明の「シード層」と同じ方法で分離そして露出されるものである。



エ以上によれば,引用発明の「半導体材料層であるSiC層」と本願発明の「シード層」とは,いずれも,その形態及び機能に加えて,その形成方法も同じくしているから,両者を一致点として認定した本件審決に誤りはない。


オ以上に対して,原告は,引用発明の半導体材料層が表面層とは材料を異にしており,また,半導体材料層が表面層を除去することで得られる点で,ソース基板と同一の材料である本願発明のシード層と相違する旨を主張する。

しかしながら,本願発明の特許請求の範囲の記載は,シード層とソース基板の材料について何ら言及していないから,両者が同一の材料であることは,本願発明の構成として特定されていない。また,本件明細書の記載を参酌しても,本件明細書は,図1ないし図3がいずれもシード層とソース基板を同じ色で表現することでシード層とソース基板が同一の材料である場合についての実施例を開示していると解されるものの,それ以上にシード層とソース基板の材料について同一でなくてはならない旨の記載はない。したがって,本願発明におけるシード層とソース基板とが同一の材料であるとまではいうことができず,原告の主張は,その前提を欠くものといわざるを得ない。

次に,仮に本願発明のシード層とソース基板の材料が同一であったとしても,本願発明の特許請求の範囲の記載は,ソース基板からの分離後にシード層の表面を除去することなく当該シード層上に有効層をエピタキシーする旨を特定していない。むしろ,本願発明は,前記のとおり,シード層とソース基板との分離に当たって熱処理,機械応力の印加及び化学的エッチングの組合せを用いることができるとされているから,シード層上での有効層のエピタキシーを行うために,上記分離に際して熱処理及び化学的エッチングを組み合わせる場合を含んでいるところ,引用発明においても,半導体材料層上での窒化ガリウム等のエピタキシーを行うために,熱処理による劈開及び化学的エッチングを行うという同じ方法が採用されている。このように,引用発明と本願発明とは,上記の点で相違しているとはいえず,原告の上記主張は,採用できない。

カ原告は,本願発明の認定に当たって本願発明を引用する【請求項10】を参酌することは妥当ではなく,また,化学的エッチングも付加的な処理であるにすぎないなどと主張する。

しかしながら,【請求項10】を参酌するまでもなく,本件明細書の発明の詳細な説明の記載(【0036】)によれば,シード層とソース基板との分離に当たり,本願発明が熱処理,機械応力の印加及び化学的エッチングの操作のうちの1つ又は2つ以上を組み合わせて用いることができることは,明らかであって,化学的エッチングが付加的な処理であることをうかがわせる具体的な記載はない。


したがって,原告の上記主張は,いずれも採用できない。


キなお,本件審決における引用発明の認定は,フランス語からの誤訳を含むことにより不適切な部分を含んでいたが,本件審決における認定によっても,「第1基板の表面層はこの劈開の間半導体層と支持基板とに一体のままである段階,前記表面層を除去して半導体材料層を露出する段階」との記載から,「半導体材料層」に「表面層」が接触する層構造を形成していることは,理解可能である。そして,以上のとおり,上記誤訳の有無にかかわらず,引用発明の「半導体材料層であるSiC層」は,本願発明の「シード層」に相当すると認められるものであるから,当該誤訳は,本件審決の結論に影響を及ぼすものではない。

top



2 取消事由2(相違点1についての判断の誤り)について



(1) 本件明細書の記載を参酌すると,相違点1は,前記1(1)ア(イ)に記載のとおり,サポート及び有効層の材料を熱膨張率に注目して限定したものと認められる(【0011】~【0014】)。

(2) 他方,引用発明の「第2基板」(本願発明の「サポート」に相当する。)は,シリコンからなり,引用発明は,シリコン炭化物からなる「半導体材料層であるSiC層」(本願発明の「シード層」に相当することは,前記のとおりである。)上にシリコン炭化物又は窒化ガリウムを層状に形成するものである。

そして,シリコン炭化物の熱膨張率は,3.7×10-6/℃(周知例1【0029】)又は4.6×10-6/℃(周知例2【0004】)であり,窒化ガリウムの熱膨張率は,5.59×10-6/K(周知例3【0005】)であるのに対し,シリコンの熱膨張率は,3.5×10-6/℃(周知例1【0007】),4.4×10-6/℃(周知例2【0004】)又は4.7×10-6/K(周知例3【0005】)である。

したがって,シリコンの熱膨張率は,シリコン炭化物の熱膨張率に対し,周知例1の記載に基づく場合,約0.95倍であり(3.5×10-6/3.7×10-6=0.95),周知例2の記載に基づく場合であっても,約0.96倍である(4.4×10-6/4.6×10-6=0.96)。

また,シリコンの熱膨張率は,窒化ガリウムの熱膨張率に対し,周知例3の記載に基づくと,約0.84倍である(4.4×10-6/5.59×10-6=0.84)。

以上によれば,引用発明において,第2基板(サポート)を構成するシリコンの熱膨張率が,有効層を構成するシリコン炭化物又は窒化ガリウムの熱膨張率の0.7倍から3倍の範囲に含まれることは,明らかであって,相違点1は,実質的な相違点といえない。

(3) また,引用例には,「連続して形成されるシリコン,シリコン炭化物,及びガリウム窒化物は,かなり異なる熱膨張係数を有する。従ってかなりの応力と高欠陥密度がこのタイプの基板上にガリウム窒化物を形成する間に生ずる。」との記載があり,周知例3には,シリコン基板上に窒化ガリウム系半導体層を成長させるこ とが困難であった原因として,両者の熱膨張率の差が挙げられており,このために引っ張り応力が生じてクラック(亀裂)又はゆがみが生ずることが記載されている(【0005】)。

以上によれば,エピタキシー技術により基板を製造する際に,基板を構成する複数の半導体層のそれぞれの熱膨張率の差が大きいと,応力が生じて亀裂等の欠陥が発生することは,本願優先権主張日当時において,周知の技術事項であったものと認められる。

したがって,引用発明が第2基板(サポート)と有効層との熱膨張率の比率の範囲を構成要件として規定していないとしても,引用発明において,亀裂等の欠陥が発生しないように,当該比率の範囲を適宜のものとすることは,当業者が適宜考慮し得る事項であって,引用発明について相違点1に係る構成を採用することも,容易に想到できるものであったというべきである。

(4) よって,以上と同旨の本件審決の判断に誤りはない。

(5) 以上に対して,原告は,引用発明が熱膨張率の範囲の規定を意図しないものである旨を主張する。

しかしながら,前記(3)の引用例の記載によれば,引用例が第2基板(サポート)と有効層との熱膨張率の比率について配慮していることが明らかであるから,原告の主張は,採用できない。

top



3 取消事由3(相違点2についての判断の誤り)について




(1) 周知例4は,「光半導体チップおよび光半導体チップの製造方法」という名称の発明に係る公開特許公報であるが,周知例4には,光半導体チップの薄型化をはかるために,化合物半導体の結晶からなる半導体積層部を備えた光半導体チップであって,当該半導体積層部は,その結晶成長に用いられた基板とは異なる代替支持材に接着されており,かつ,当該半導体積層部から当該基板が除去されているものについての記載がある(【要約】欄中の【課題】【課題解決手段】)。

また,周知例5は,「薄膜半導体,太陽電池および発光素子の製造方法」という名称の発明に係る公開特許公報であるが,周知例5には,半導体基体の表面に多孔質層を形成して加熱し,多孔質層の表面にエピタキシーによりエピタキシャル半導体膜を形成した上でこれを接着剤の塗布と外力により半導体基体から剥離してエピタキシャル半導体膜による薄膜半導体を得て,当該薄膜半導体に付着した多孔質層をエッチングにより除去する技術が開示されている(【0075】~【0084】)。さらに,周知例6は,「半導体発光素子及びその製造方法並びに半導体発光装置」という名称の発明に係る公開特許公報であるが,周知例6には,サファイア基板の上に窒化ガリウム層,窒化ガリウム・アルミニウム層などをMOCVD(有機金属気相成長法)などによって成長させ,フォトリソグラフィ法などを用いて半導体レーザのメサストライフ部などを形成した後,レーザの多層構造部を下にして治具にワックスなどで貼り付けた上で,応力を加えて窒化ガリウム・アルミニウム層の界面付近から基板を剥離する技術が記載されている(【0030】~【0033】)。

(2) 以上のとおり,半導体製造方法の分野において,基板上に半導体層を成長させた後,半導体層を基板から分離することは,複数の公開特許公報に記載されていることに照らすと,本願優先権主張日当時において,周知の技術事項であったものと認められる。

したがって,引用発明について上記周知技術を組み合わせることで,有効層をサポートから分離することは,当業者が必要に応じて容易に想到できたものといえる。よって,これと同旨の本件審決の判断に誤りはない。


top
(3) 以上に対して,原告は,本願発明において有効層をサポートから分離することが,コスト削減効果が得られるので当業者が必要に応じて適宜なし得る程度のことではない旨を主張する。しかしながら,コストの削減という効果は,前記周知技術においても同様に期待できるものであって,格別に顕著な効果であるとはいえないから,容易想到性に関する上記判断を妨げるものではない。

よって,原告の上記主張は,採用できない。

top



4 取消事由4(本願発明の作用効果に係る判断の誤り)について



(1) 前記1(1)ア(イ)に記載のとおり,本願発明は,従来技術による有用薄膜(有効層)における転位の形成及び亀裂の発生という技術課題を解決することもその目的としている(本件明細書【0009】~【0014】)。

他方,前記2(2)及び(3)に記載のとおり,引用発明は,エピタキシー技術により基板を製造する際に,基板を構成する複数の半導体層のそれぞれの熱膨張率の差が大きいと,応力が生じて亀裂等の欠陥が発生するという技術事項を念頭に置いた上で,シリコンからなる「第2基板」を採用し,シリコン炭化物からなる「半導体材料層であるSiC層」上にシリコン炭化物又は窒化ガリウムを層状に形成するものであって,相違点1は,実質的な相違点ではなく,本願発明の相違点1に係る構成を採用することは,当業者にとって容易に想到することができる。

したがって,引用発明は,上記のような層構造により,転位の形成及び亀裂の発生という技術課題を解決していることが明らかであるから,これらを解決するという本願発明の上記作用効果は,格別なものとはいい難く,他に本願発明に格別の作用効果があると認めるに足りる証拠はない。

20 top


よって,本願発明の作用効果に相違点1及び2の容易想到性に関する前記の判断を左右するに足りる格別なものは認められず,これと同旨の本件審決の判断に誤りはない。(2) 以上に対して,原告は,事前に原子種の注入により脆弱化された脆弱化領域の面で分離されるため,本願発明において転写されたシード層の表面が平滑になり,更にその上にエピタキシーした結果として,クラックのない良質な半導体基板の提供が可能になるという作用効果が得られる旨を主張する。

しかしながら,事前に脆弱化された脆弱化領域の面において分離採取したものであることによって,シード層の表面が平滑になり,更に良質の半導体基板の提供が可能になることについては,本件明細書に何らこれを裏付ける記載がなく,その技術的根拠も明らかではない。また,前記1(1)ア(エ)に記載のとおり,本願発明におけるシード層とソース基板の分離は,熱処理,機械応力の印加及び化学的攻撃 (化学的エッチング)を含む操作のうちの1つ又は2つを組み合わせて行われる(本件明細書【0036】)ところ,これらによったとしても,上記のような作用効果が得られるとは限らない。さらに,前記1(1)ア(オ)に記載のとおり,本願発明においては,シード層とソース基板との分離と,シード層上での有効層のエピタキシーとの間に,選択的にシード層の表面の研磨,焼きなまし,つや出し焼きなまし等の準備操作が想定されている(本件明細書【0044】)から,事前に原子種 の注入により脆弱化された脆弱化領域の面で分離されることと,シード層の表面が平滑になり,ひいて良質の半導体基板が提供されることとは,直接関係がないものといわざるを得ない。

よって,原告の上記主張は,採用できない。



5 結論


以上の次第であるから,原告主張の取消事由はいずれも理由がなく,原告の請求は棄却されるべきものである。
知的財産高等裁判所第4部21裁判長裁判官 滝 澤 孝 臣裁判官 高 部 眞規子裁判官 井 上 泰 人
top

Last Update: 2011-02-04 00:35:57 JST

top
……………………………………………………判決末尾top
メインサイト(Sphinx利用)GAE利用サイト知財高裁のまとめjimdoサイト携帯サイト