2011年2月22日火曜日

特許:【特許法153条1項の解釈適用】「解釈」,【容易想到性(容易推考性)】「事実認定」:(知財高裁平成23年2月22日判決(平成22年(行ケ)第10189号審決取消請求事件))





目 次


特許:【特許法153条1項の解釈適用】「解釈」,【容易想到性(容易推考性)】「事実認定」:(知財高裁平成23年2月22日判決(平成22年(行ケ)第10189号審決取消請求事件))




知的財産高等裁判所第2部「塩月秀平コート」



H230224現在のコメント


(知財高裁平成23年2月22日判決(平成22年(行ケ)第10189号審決取消請求事件))

容易想到性の「事実認定」判決でもあります。「事案の概要」で「容易推考性」という用語を用いています。



縮小版「解釈」



「特許法153条1項が,審判手続における職権探知主義を採用しているのは,審判が,当事者のみの利害を調整するものではなく,広く第三者の利害に関する問題の解決を目的とするものであって,公益的な観点に基づく解決を図る必要があることによるものと解される。そのような観点から行われる職権の発動は,基本的に適法なものとして許容されるべきであり,これを補完的かつ例外的な場合に限定し,それ以外の場合には違法とすべきとする原告の主張は採用することができない。」(知財高裁平成23年2月22日判決(平成22年(行ケ)第10189号審決取消請求事件))



判決原文(引用)


(知財高裁平成23年2月22日判決(平成22年(行ケ)第10189号審決取消請求事件))
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第2 事案の概要


特許権者である原告は,被告からの無効審判請求に基づき,特許庁から特許無効審決を受けた。本件はその取消訴訟であり,争点は,特許法153条1項の解釈適用の適否及び容易推考性の存否である。

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1 取消事由1(特許法153条1項の解釈適用の適否)について




(1) 特許法153条1項が,審判手続における職権探知主義を採用しているのは,審判が,当事者のみの利害を調整するものではなく,広く第三者の利害に関する問題の解決を目的とするものであって,公益的な観点に基づく解決を図る必要があることによるものと解される。そのような観点から行われる職権の発動は,基本的に適法なものとして許容されるべきであり,これを補完的かつ例外的な場合に限定し,それ以外の場合には違法とすべきとする原告の主張は採用することができない。そして,本件審判手続において,職権による無効理由について審理したことに関し,特に違法とすべき点は認められない。

(2) 原告は,審決が引用刊行物1及び2について判断したことは,無効審判請求がないのに職権で本件発明を無効にすべきものと判断したことに相当する旨主張する。しかし,審決が無効とした本件特許の請求項13は,被告による無効審判請求の対象であるから,特許法153条3項に反することはない。本件においては,職権で審理する無効理由を,当事者に通知した上で(同条2項),無効と判断したものであるから,審決に手続上の違法な点はなく,原告の上記主張は理由がない。

以上のとおり,取消事由1については理由がない。



判決原文(全文)




平成22(行ケ)10189 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟平成23年02月22日 知的財産高等裁判所 



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平成23年2月22日判決言渡同日原本領収裁判所書記官平成22年(行ケ)第10189号審決取消請求事件


口頭弁論終結日平成23年2月8日



判 決





主 文



原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。



事実及び理由





第1 原告の求めた判決



特許庁が無効2009-800205号事件について平成22年5月6日にした審決を取り消す。

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第2 事案の概要


特許権者である原告は,被告からの無効審判請求に基づき,特許庁から特許無効審決を受けた。本件はその取消訴訟であり,争点は,特許法153条1項の解釈適用の適否及び容易推考性の存否である。


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1 特許庁における手続の経緯


原告は,平成7年4月18日に,名称を「細穴放電加工機に対する電極,電極ガ


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イド交換方法及び同方法に使用する交換装置,電極ホルダ,細穴放電加工機」とす
る発明について特許出願をし,平成12年3月31日に,本件特許第305077
3号として特許登録を受けた(請求項の数14)。
被告は,平成21年9月25日に,本件特許の請求項13及び14について無効
審判請求をしたところ,この請求は,無効2009-800205号事件として特
許庁に係属した。原告は,その手続中の平成21年12月10日付けで,上記請求
項13を訂正し,請求項14を削除すること等を内容とする本件訂正請求をしたと
ころ,特許庁は,平成22年1月18日付けで職権による無効理由を通知した上,
平成22年5月6日に,「訂正を認める。特許第3050773号の請求項13に
記載された発明についての特許を無効とする。」との審決をし,その謄本は平成2
2年5月14日に原告に送達された。

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2 本件発明(本件訂正による請求項13の発明)の要旨


【請求項13】電極の上端部に装着して使用する電極ホルダにして,細穴放電
加工機における主軸に備えたチャックに着脱可能な筒状の外筒にコレット嵌入孔を
設け,電極を挾持固定可能の,体部にスリットを形成したコレットを上記コレット
嵌入孔に嵌入して設けると共に上記コレット上面とコレット嵌入孔との間に前記コ
レット嵌入孔とコレットの間及びコレットと電極との間のシールを同時に行うシー
ル用弾性部材を介在して設け,かつ上記コレット下部に形成したテーパ部を締付け
可能の螺子部材を前記外筒に調節可能に螺合して,当該螺子部材の締付けによって
下記(イ)および(ロ)の作用を同時に行うようにしたことを特徴とする電極ホル

(イ)シール用弾性部材によるシール
(ロ)コレットの体部に形成したスリットの圧縮によるコレットと電極との間の
挟持固定

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3 審判において審理された無効理由


(1) 被告主張の無効理由


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本件発明は,本件の出願前に頒布された実公平6-34920号公報(甲1)に
記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり,特
許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
(2) 職権により通知された無効理由
本件発明は,特開平1-246021号公報(引用刊行物1,甲2)に記載され
た発明(引用発明1)及び特開昭63-120037号公報(引用刊行物2,甲3)
に記載された発明(引用発明2)に基づいて当業者が容易に発明をすることができ
たものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

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4 審決の理由の要点





(1) 被告主張の無効理由について


本件発明は,甲1記載の発明から当業者が容易になし得たものとすることはでき
ず,被告の主張する無効理由は,理由がない。



(2) 職権により通知された無効理由について


本件発明と引用発明1との間には,次のとおりの一致点と相違点がある。

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【一致点】


「電極の上端部に装着して使用する電極ホルダにして,細穴放電加工機における
主軸に備えたチャックに着脱可能な筒状の外筒にコレット嵌入孔を設け,電極を挾
持固定可能の,体部にスリットを形成したコレットを上記コレット嵌入孔に嵌入し
て設けると共に上記コレット上面とコレット嵌入孔との間にシール用弾性部材を設
け,かつ上記コレット下部に形成したテーパ部を締付け可能の螺子部材を前記外筒
に調節可能に螺合して,当該螺子部材の締付けによって下記(イ)および(ロ)の
作用を同時に行うようにした電極ホルダ,(イ)シール用弾性部材によるシール,
(ロ)コレットの体部に形成したスリットの圧縮によるコレットと電極との間の挟
持固定」

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【相違点】


「シール用弾性部材に関して,本件発明では,「コレット上面とコレット嵌入孔


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との間に介在して」と特定し,また,「コレット嵌入孔とコレットの間及びコレッ
トと電極との間のシールを同時に行う」と特定しているのに対して,引用発明1で
は,コレット10の上面に直接パッキン15を介在させずに,コレット10の上面
と嵌入孔との間にパッキン15及びパッキンサポータ9を介在して設け,また,コ
レット10の外周と嵌入孔内周との間にOリング57を設け,これらパッキン15,
Oリング57により嵌入孔とコレット10との間及びコレット10とパイプ電極1
6の間のシールを行っている点。」
引用発明1では,コレット10とパッキン15との間にパッキンサポータ9を介
在させているが,一般に別部材を介して押圧するところを別部材を介在させずに直
接押圧することは例示するまでもなく従来周知の事項であることからすれば,引用
発明1において,パッキンサポータ9を介在させずにコレット10の上面で直接パ
ッキン15を押圧することは当業者が容易になし得たものである。
また,引用発明2は,「細穴加工する放電加工装置におけるコレットシャンク3
に嵌入孔を設け,体部にスリットを形成したコレット7を上記嵌入孔に嵌入して設
けるとともに,コレット7上面と嵌入孔との間にパッキン10と座金9とスプリン
グ8とによりシール構造を設け,このシール構造により,パイプ電極1の外部へ加
工液15が流出することを防止し,かつコレット7の下部に形成したテーパ部を締
付け可能のナット2を前記コレットシャンク2に調節可能に螺合して,当該ナット
2の締付けによって(イ)パッキン10が押圧されてシールすること,および(ロ)
コレット7の体部に形成したスリットの圧縮によるコレット7とパイプ電極1との
間の挟持固定の作用を同時に行うようにしたコレットシャンク。」である。ここで,
シール構造におけるシール部材は「パッキン10」であって,パッキン10がコレ
ット7上面に接して設けられていることは明らかであるから,コレット7の上昇に
よりパッキン10が押圧され,このパッキン10により,コレットシャンク3の嵌
入孔とコレット7の間,及びコレット7とパイプ電極1との間のシールを同時に行
うものであることは明らかである。そして,引用発明1も引用発明2も,共に細穴


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加工を行う放電加工における電極保持部に関する技術であるという技術の共通性に
鑑みると,コレットの上面に設けられ,コレット嵌入孔とコレットの間及びコレッ
トと電極との間のシールを同時に行うパッキン10の構造を,引用発明1に適用し,
そのコレット10の上面に設けられたパッキン15により,コレット嵌入孔とコレ
ットの間及びコレットと電極との間のシールを同時に行うものとすることは,当業
者が容易になし得たものである。
本件発明によってもたらされる効果は,引用刊行物1及び2の記載から当業者が
予測し得る程度のものである。
したがって,本件発明は,引用発明1に基づいて,あるいは,引用発明1及び2
に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条
2項の規定により特許を受けることができない。

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第3 原告主張の審決取消事由


1 取消事由1(特許法153条1項の解釈適用の誤り)
(1) 特許法153条1項は,「審判においては,当事者又は参加人が申し立て
ない理由についても,審理することができる。」と規定しており,審判における職
権探知主義を規定したものと言われている。
しかし,特許無効審判は,当事者対立構造の審理構造をとっているから,基本的
には請求人の主張立証に基づいて審理を進めることが適切であり,審判官による無
効理由の職権審理はあくまで補完的かつ例外的な場合にとどまるべきものである。
ちなみに,特許庁の「平成15年改正法における無効審判等の運用指針」にも,職
権審理の発動を行うのは,補完的かつ例外的な場合にとどめるとされている。
ここにいう補完的な場合とは,例えば当該無効審判事件において申し立てられた
複数の証拠の組合せを修正する場合,又は周知事実を補完することなどによって無
効理由が構成できる場合である。しかるに,本件においては,被告が実公平6-3
4920号公報(甲1)に記載された発明のみを根拠としているのに,審判官は上


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記公報に記載された発明とは全く関係のない引用刊行物1及び2に記載された発明
を根拠として,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないと判断
しており,補完的な場合には当たらない。
また,本件は,職権探知を行わないことが公益代表としての審判官の観点から容
認し難いような事案ではない。すなわち,例外的な事案にも当たらない。
したがって,審決が,職権により通知した無効理由について判断したことは,こ
の条項で規定する審理権の範囲を逸脱するものであって違法である。加えて,他の
無効審判事件の審理との関係においても著しく不公平であって失当である。
(2) 特許法131条2項は,「特許無効審判を請求する場合における前項第3
号に掲げる請求の理由は,特許を無効にする根拠となる事実を具体的に特定し,か
つ,立証を要する事実ごとに証拠との関係を記載したものでなければならない。」
と規定しており,審判請求書に,請求理由が全く記載されていない場合又は実質的
に請求理由が記載されていないに等しい場合には,その審判請求は,不適法な審判
請求であって,その補正をすることができないものとしてただちに却下される(同
法135条)。被告は,審判請求書に実公平6-34920号公報(甲1)のみを
証拠として記載しており,引用刊行物1及び2は記載していない。しかるに,審決
が,審判請求書に記載されていない引用刊行物1及び2について判断したことは,
請求理由が記載されていないものとして却下すべき請求に基づいて判断したに等し
く,ひいては,無効審判請求がないのに職権で本件発明を無効にすべきものと判断
したことに相当する。このことは,私人からの請求を待って無効判断をすべきとす
る私的自治の原則に反し,特許法153条1項の解釈適用を誤ったものであって,
違法である。
2 取消事由2(容易想到性の存否)
(1) 引用発明1の認定誤り,これに伴う一致点・相違点認定の誤り
審決は,引用刊行物1には,「…また,袋ナット11の締付けにより,(イ)パ
ッキン15によるシール,(ロ)コレット10の体部に形成したスリットの圧縮に


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よるコレット10とパイプ電極16との間の挟持固定を同時に行うようにした…」
発明が記載されていると認定した(17頁27行~30行)。
しかし,引用刊行物1には,袋ナット11の締付けによりパッキン15を押圧支
持することが記載されているだけで,シールについては記載されていない。シール
は,袋ナット11の締付けによる上方向の押圧力によるのではなく,加工液の水圧
がパッキン15にかかることによる下方向の押圧力によってなされるものである。
また,引用刊行物1には,パイプ電極16はコレット10に把握されていると記
載されているだけで,コレット10とパイプ電極16との間の挟持固定をどのよう
にして行うかについては記載がない。
したがって,審決が引用発明1について上記のとおり認定したことは誤りである。
これに伴い,審決が,本件発明と引用発明1との一致点として,「当該螺子部材
の締付けによって下記(イ)および(ロ)の作用を同時に行うようにした電極ホル
ダ,(イ)シール用弾性部材によるシール,(ロ)コレットの体部に形成したスリ
ットの圧縮によるコレットと電極との間の挟持固定」と認定したことも誤りである。
さらに,上記の点を相違点として認定しなかったことも誤りである。
(2) 相違点に関する判断の誤り
ア審決は,「引用発明1では,コレット10とパッキン15との間にパッ
キンサポータ9を介在させているが,一般に別部材を介して押圧するところを別部
材を介在させずに直接押圧することは例示するまでもなく従来周知の事項であるこ
とからすれば,引用発明1において,パッキンサポータ9を介在させずにコレット
10の上面で直接パッキン15を押圧することは当業者が容易になし得たものであ
る。」と判断する。この判断は,本件発明と引用発明1とで「袋ナットの締付けに
よる上方向の押圧」の技術的意義が同一であることを前提とするものである。
しかし,引用発明1においては,上方向の押圧は,パッキン15を取り付けるた
めだけの押圧であって,シール作用を生じさせるものではない。これに対し,本件
発明においては,上方向の押圧は,上方向に押圧することによって弾性部材31を


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圧縮させ,この圧縮によってコレット27とコレット装着孔25C,貫通孔25H
との間およびコレット27と電極11との間のシールを同時に行うものである。こ
のように,上方向の押圧の技術的意義が異なる以上,審決の上記判断は誤りである。
イ審決は,引用発明2について,「…当該ナット2の締付けによって(イ)
パッキン10が押圧されてシールすること,および(ロ)コレット7の体部に形成
したスリットの圧縮によるコレット7とパイプ電極1との間の挟持固定の作用を同
時に行うようにしたコレットシャンク。」であると認定する。
しかし,引用刊行物2には,ナット2に関して,「コレット7をナット2により
コレットシャンク3に取り付ける。」と記載されているだけである。つまり,ナッ
ト2による上方向の押圧力はコレット7をコレットシャンク3に取り付けるために
のみ作用するものである。引用刊行物2の第1図のとおり,引用発明2のシール作
用は,スプリング8による下方向の押圧力が座金9を介してパッキン10に作用す
ることにより生ずるものである。
また,引用発明2においては,電極ホルダ5とコレットシャンク3との間のシー
ルは,Oリング4により行っている。本件発明には,このようなOリング4に相当
するものはない。
したがって,審決の上記認定も誤りである。

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第4 被告の反論


1 取消事由1に対し
特許法153条1項の規定は,特許を付与するか否かの審査・審理において職権
探知が認められている特許庁が行う審判として当然のことである。特許権を付与す
るということは,その者に実施の独占権を与え,他人の実施に対し差止請求権や損
害賠償請求権を認めるという強大な権利を付与することになるものである。したが
って,特許されるべきでなかった発明に特許権が付与され存続し続けていることは,
同じ技術を実施している者等に不利益をもたらすものであり,特許されるべきでな


  • 9 -


かったという瑕疵のある特許の存在は極力阻止しなければならない。
いったん特許権を付与したものを,特許庁が無効理由(瑕疵)を発見したからとい
って,一方的に付与した特許を取り消したり,無効にしたりすることは妥当ではな
いが,特許無効審判が請求され,当該特許の有効性(瑕疵の有無)の審理が改めて
無効審判という俎上に乗せられた以上は,請求人が申し立てた理由のみに限定せず,
情報提供,他の事件との関わり,あるいは職権調査等によって審判体が得た情報等
が無効理由となり得るようなものであった場合には,これを審理し,その理由によ
って特許を無効とすべきものである。この場合,同条2項により特許権者にも意見
を申し立てる機会があるのであるから不意打ちになるということはない。
したがって,特許法153条は,その文言どおりに適用すべきものである。
2 取消事由2に対し
(1) 引用発明1の認定誤り,これに伴う一致点・相違点認定の誤りにつき
ア引用刊行物1の第2図によれば,コレット10の上端がパッキンサポー
タ9に接し,パッキンサポータ9はその上のパッキン15に接している状態が示さ
れており,その状態でコレット10がパッキンサポータ9を押し上げ,さらにパッ
キンサポータ9がパッキン15を押圧支持している。そのようにして,シール用弾
性部材であるパッキン15が,押圧されることで若干の変形圧縮をし,弾性体の性
質として元の形状に戻ろうとする力が働くことにより,パッキン15とパッキンサ
ポータ9,パイプ電極16,チャック本体の内周面等との間が密着し,シール効果
が生じるのである。原告が主張するように,上方向の押圧によるシール効果がない
と仮定した場合,その状態で加圧水が上から注入されれば,パッキン15とチャッ
ク本体の内周面との間に水が浸入してしまう。
以上のとおり,コレット10の上面は,パッキンサポータ9に単に接しているだ
けでなく,さらに「押圧支持」することでシール効果を生じているのであり,上方
向の押圧によるシールはされていないという原告の主張は誤りである。
イ原告は,引用刊行物1には,パイプ電極16はコレット10に把握され


  • 10 -


ていると記載されているだけで,コレット10がパイプ電極をどのように挟持固定
するのか全く記載されていないと主張する。
しかし,そもそもコレットとは,中心軸部分に挟持すべき円柱体あるいは円筒状
の物を挿入する挿入孔を有する円筒状をしており,その外面の軸方向の一部,又は
全部が軸方向へ円錐状(テーパ)となっており,そのテーパ部分に円周方向で1箇
所又は複数箇所に挿入孔まで届く軸方向のスリットを有している工具の一種であ
り,前記テーパに対応するテーパ孔に挿入して押し込むとテーパ部分がテーパ孔内
壁からの反作用力(締付力)を受け,その結果,スリットの隙間が狭められその分
だけ挿入孔の内径が小さくなることを利用して,挿入孔に挿入したパイプ電極とか,
穴明け用の錐などの円筒体や円柱体をしっかり挟持するというものである。このこ
とは当業者にとっては周知のことである。したがって,コレットを,そのテーパに
見合ったテーパ孔を有する部材の挿入孔に挿入し,その後に,コレットを袋ナット
等によって後方から強く押し込むか,あるいはコレットの先端の方にネジを設けて
おき,このネジ部に螺合させた引きネジを強く引くなどして,コレットのテーパ部
をテーパ孔へ押し込み,あるいは引き込むことが示されていれば,これによって,
コレットが挿通孔に挿入されている円柱状又は円筒状の部材を強く挟持又は握持す
るものであることは当業者にとって常識である。
以上のとおりであるから,審決が,「コレット10の体部にスリットが形成され
ていることは,技術常識である。」とし(17頁5行~6行),「袋ナット11の
締付けにより,…(ロ)コレット10の体部に形成したスリットの圧縮によるコレ
ット10とパイプ電極16との間の挟持固定を同時に行うようにした…」発明が記
載されていると認定した(17頁27行~30行)ことに誤りはない。また,これ
に伴う一致点・相違点の認定にも誤りはない。
(2) 相違点に関する判断の誤りにつき
ア上記(1)アのとおり,引用発明1のコレット10による上方への押圧は,
パッキン15を取り付けるためだけでなく,シールも同時に行うもので,本件発明


  • 11 -


の押圧と技術的意義は同じであり,審決の判断に誤りはない。
イ原告は,引用発明2におけるシール作用はスプリング8による下方向の
押圧力によるものであると主張する。
しかし,そもそもスプリング8による下方向の押圧力は,ナット2の螺子締めに
よりコレット7が上昇しパッキン10,座金9を介してスプリング8に上向きの押
圧力が加わり,スプリング8が圧縮されることにより生じるものである。そして,
引用発明2のシール作用は,コレット7からの上向きの押圧力と,座金9を介して
スプリング8からの下方向の押圧力がかかることにより,パッキン10が若干押し
潰されることで,コレットシャンク3の内壁とパイプ電極1の外周に密着し,その
結果コレットシャンク3の嵌入孔とコレット7の間,及びコレット7とパイプ電極
1との間のシールが同時に行われるのである。このように,引用発明2のシール作
用は,あくまでもコレット8の上昇により始まり,生ずることであるから,引用発
明2に関する審決の判断に誤りはない。
また,原告は,引用発明2において,電極ホルダ5とコレットシャンク3との間
のシールは,Oリング4により行っているが,本件発明では,このOリング4に相
当するものはないから,審決の認定は誤りであると主張する。
しかし,そもそも引用刊行物2に記載されたコレットシャンク3は,コレット7
の嵌入孔が設けられているものであるから,本件発明の外筒(図2の符号25)に
相当するものである。そして,引用刊行物2における「電極ホルダ5」は,本件発
明では外筒が嵌め込まれるチャック23(図2参照)に相当するものであり,本件
発明の「電極ホルダ」ではない。したがって,引用刊行物2のOリング4は,本件
発明では外筒の外周に設けられた部材に相当するものであって,本件発明の構成に
含まれておらず,比較の対象にならない。

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第5 当裁判所の判断





1 取消事由1(特許法153条1項の解釈適用の適否)について




(1) 特許法153条1項が,審判手続における職権探知主義を採用しているのは,審判が,当事者のみの利害を調整するものではなく,広く第三者の利害に関する問題の解決を目的とするものであって,公益的な観点に基づく解決を図る必要があることによるものと解される。そのような観点から行われる職権の発動は,基本的に適法なものとして許容されるべきであり,これを補完的かつ例外的な場合に限定し,それ以外の場合には違法とすべきとする原告の主張は採用することができない。そして,本件審判手続において,職権による無効理由について審理したことに関し,特に違法とすべき点は認められない。

(2) 原告は,審決が引用刊行物1及び2について判断したことは,無効審判請求がないのに職権で本件発明を無効にすべきものと判断したことに相当する旨主張する。しかし,審決が無効とした本件特許の請求項13は,被告による無効審判請求の対象であるから,特許法153条3項に反することはない。本件においては,職権で審理する無効理由を,当事者に通知した上で(同条2項),無効と判断したものであるから,審決に手続上の違法な点はなく,原告の上記主張は理由がない。

以上のとおり,取消事由1については理由がない。

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2 取消事由2(容易想到性の存否)について



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(1) 引用発明1の認定の当否,これに伴う一致点と相違点認定の当否について



ア引用刊行物1(甲2)には,次の記載及び図面がある。

「次に,ホルダ部25に差し込んで取付けられるチャック部28の構造について説明する。チャック部28は,主として,管状のチャック本体8,管状のコレット10,袋ナット11,管状のパッキン15,チャック本体8の内周面に配置されたOリング57,及びパイプ内に加工液を通すことができるパイプ電極16から成る。…チャック本体8の他端側には雄ねじ23が形成され,該雄ねじ23に袋ナット11の雌ねじ24が螺合される。…該コレット10の一端部に形成した突出部26は袋ナット11の端部に当接し,また,コレット10の他端部は,パッキンサポータ9に当接し,該パッキンサポータ9はチャック本体8内に配置されたパッキン15を押圧支持している。即ち,袋ナット11がチャック本体8に螺入されることによってコレット10がチャック本体8内に密封状態に固定されている。また,このコレット10にはパイプ電極16が貫通状態に配置され,パイプ電極16がコレット10に把握されている。しかも,該パイプ電極16の上端部はパッキン15を貫通して上方にパイプ口を開口している。従って,袋ナット11が螺入され,コレット10の端部がパッキンサポータ9を介してパッキン15を押圧してパッキン15は取付けられる。チャック本体8とパイプ電極16とはパッキン15及びOリング57によって密封状態が確保される。即ち,チャック本体8とパイプ電極16との間の密封状態の確保は,ナット11の緊締に加えて,加工液の水圧がパッキン15にかかることによってパッキン15がパイプ電極16に押付けられ,シール効果が生じ,また,チャック本体8とコレット10との間はOリング57によってシール状態が確保されている。従って,ホルダ本体1に導入された高圧水である加工液はパイプ電極16の上端部からパイプ電極16のパイプ内に漏洩することなく導入される。」(5頁右下欄13行~6頁右上欄15行)

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イ上記アの記載及び図面によれば,引用刊行物1には,袋ナット11の緊締によってコレット10が上方向に押圧され,これに伴い,コレット10がパッキンサポータ9を介してパッキン15を上方向に押圧することで,シール用の弾性部材であるパッキン15が,これと接するチャック部28の内周面及びパイプ電極16に押し付けられて弾性変形し,シール効果を発揮する発明が記載されているものと認められる。したがって,審決が,引用発明1について,袋ナット11の締め付けによりパッキン15によるシールが行われると認定したことに誤りはない。

なお,上記アの記載によれば,引用発明1では,パッキン15に,コレット10による上方向の押圧に加えて,加工液による下方向の押圧もされており,これらが相まってシール効果を生じていることが認められる。しかし,技術常識に照らし,加工液による下方向の押圧は必須とはいえず,上方向の押圧のみでもシール効果は生じるから,加工液による下方向の押圧があることは,上記判断を左右しない。

ウ上記アのとおり,引用刊行物1には,コレット10にはパイプ電極16が貫通状態に配置され,パイプ電極16がコレット10に把握されているとの記載がある。そして,コレットが,「中心軸部分に挟持すべき円柱体或いは円筒状の物を挿入する挿入孔を有する円筒状をしており,その外面の軸方向の一部,又は全部が軸方向へ円錐状(テーパ)となっており,そのテーパ部分に円周方向で1箇所あるいは複数箇所に挿入孔まで届く軸方向のスリットを有している工具の一種であり,前記テーパに対応するテーパ孔に挿入して押し込むとテーパ部分がテーパ孔内壁からの反作用力(締付力)を受け,その結果,スリットの隙間が狭められその分だけ挿入孔の内径が小さくなることを利用して,挿入孔に挿入したパイプ電極とか,穴明け用の錐などの円筒体や円柱体をしっかり挟持するものであること」は,当業者にとって周知であると認められる(実公平6-34920号公報(甲1),実公平2-30166号公報(乙1),実開平6-63213号公報(乙2),実開平5-31811号公報(乙3)参照)。そうすると,引用発明1においても,ナット11の緊締によって,コレット10に形成されたスリットが圧縮され,コレット10とパイプ電極16との間の挟持固定が行われているものと認められるから,審決の認定に誤りはない。

以上のとおり,審決における引用発明1の認定に誤りはなく,これに伴い,上記の点を,本件発明との一致点として認定したこと,相違点として認定しなかったことについても誤りはない。

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(2) 相違点に関する判断の当否について



ア原告は,本件発明と引用発明1とでは,袋ナットの締付けによる上方向の押圧の技術的意義が異なると主張する。しかし,上記(1)イで説示したとおり,引用発明1においても,袋ナットの締付けによる上方向の押圧によってシール作用が生じるものと認められるから,原告のこの主張は採用することができない。イ原告は,引用発明2において,ナット2による上方向の押圧力はコレット7をコレットシャンク3に取り付けるためにのみ作用するものであり,シール作用は,スプリング8による下方向の押圧力が座金9を介してパッキン10に作用することにより生ずるものであると主張する。

引用刊行物2(甲3)には,次の記載及び図がある。

「〔作用〕…コレットシャンク…の内部にパッキンを取り付けたシール構造を備えているので…」(2頁右上欄10行~14行)

「第1図に示すように,パイプ電極1をコレット7に挿した後に,コレット7をナット2によりコレットシャンク3に取り付ける。」(2頁左下欄1~3行)

「コレットシャンク3の内部にあるパイプ電極1の外部に,パッキン10と座金9及びスプリング8により構成されるシール構造を設け,このシール構造によって,パイプ電極1の外部へ加工液15が流出することを防止し,パイプ電極1の内部へのみ加工液15が流入するように構成する。」(2頁左下欄7行~13行)


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上記記載及び図面に照らすと,引用刊行物2のコレットシャンク3は本件発明の外筒25に相当するものであり,引用発明2においては,ナット2の螺子締めによりコレット7が上昇し,パッキン10,座金9を介してスプリング8に上向きの押圧力が加わり,スプリング8が圧縮されることで,スプリング8が下方向の押圧力を発揮し,パッキン10によるシールが行われるものと認められるから,審決が「ナット2の締付けによって,パッキン10が押圧されてシールすること」が行われると認定したことに誤りはない。

また,原告は,引用発明2のOリング4に相当する構成が本件発明にはないと主張する。しかし,引用刊行物2の記載によれば,引用発明2のOリング4は,コレットシャンクの外側に設けられたものであって,本件発明との対比に必要な,コレットシャンク内部におけるコレット及び電極とのシールに関する構成とは関係のない部分である。したがって,原告の主張は理由がない。

以上のとおり,取消事由2も理由がない。

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第6 結論



以上によれば,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。よって,原告の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。


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知的財産高等裁判所第2部裁判長裁判官塩月秀平裁判官清水節裁判官古谷健二郎
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Last Update: 2011-02-24 10:12:39 JST

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特許:【承認処分における用途の同一性】「基準」:(知財高裁平成23年2月22日判決(平成21年(行ケ)第10423号,第10424号,第10425号,第10426号,第10427号,第10428号,第10429号審決取消請求事件))





目 次


特許:【承認処分における用途の同一性】「基準」:(知財高裁平成23年2月22日判決(平成21年(行ケ)第10423号,第10424号,第10425号,第10426号,第10427号,第10428号,第10429号審決取消請求事件))




知的財産高等裁判所第2部「塩月秀平コート」



H230224現在のコメント


(知財高裁平成23年2月22日判決(平成21年(行ケ)第10423号,第10424号,第10425号,第10426号,第10427号,第10428号,第10429号審決取消請求事件))

基準をはっきりいっています。

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縮小版


(知財高裁平成23年2月22日判決(平成21年(行ケ)第10423号,第10424号,第10425号,第10426号,第10427号,第10428号,第10429号審決取消請求事件))

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先の承認処分における用途と本件承認処分における用途の同一性について



「基準」

「「用途」とは「使いみち。用いどころ。」を意味するものであり,医薬品の「用途」とは医薬品が作用して効能又は効果を奏する対象となる疾患や病症等をいうと解され,「用途」の同一性は,医薬品製造販売承認事項一部変更承認書等の記載から形式的に決するのではなく,先の承認処分と本件承認処分に係る医薬品の適用対象となる疾患の病態(病態生理),薬理作用,症状等を考慮して実質的に決すべきであると解される」(知財高裁平成23年2月22日判決(平成21年(行ケ)第10423号,第10424号,第10425号,第10426号,第10427号,第10428号,第10429号審決取消請求事件))

「あてはめ」

本件のように,対象となる疾患がアルツハイマー型認知症であり,薬理作用はアセチルコリンセルテラーゼの阻害という点では同じでも,先の承認処分と後の処分との間でその重症度に違いがあり,先の承認処分では承認されていないより重症の疾患部分の有効性・安全性確認のために別途臨床試験が必要な場合には,特許発明の実施について安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分であって政令で定めるものを受ける必要があった場合に該当するものとして,重症度による用途の差異を認めることができるというべきである。

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別途臨床試験が必要な場合の承認処分の必要性



「先の承認処分と後の処分との間でその重症度に違いがあり,先の承認処分では承認されていないより重症の疾患部分の有効性・安全性確認のために別途臨床試験が必要であった場合には,その臨床試験等のために費やした期間は特許存続期間が浸食されており,特許発明の実施について安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分であって政令で定めるものを受ける必要があった場合に該当すると解されることは前記のとおりである。」(知財高裁平成23年2月22日判決(平成21年(行ケ)第10423号,第10424号,第10425号,第10426号,第10427号,第10428号,第10429号審決取消請求事件))

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判決原文(引用)


(知財高裁平成23年2月22日判決(平成21年(行ケ)第10423号,第10424号,第10425号,第10426号,第10427号,第10428号,第10429号審決取消請求事件))

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第2 事案の概要



本件は,特許権の存続期間の延長登録に対する無効審判請求を不成立とする審決の取消訴訟である。争点は,本件延長登録に先だってされた延長登録の理由となった処分の対象物について特定された用途と,本件延長登録におけるそれとが実質的に同一であるか否か,である。

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5 先の承認処分における用途と本件承認処分における用途の同一性について



前記認定によれば,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症と高度アルツハイマー型認知症との差異は,緩やかにかつ不可逆的に進行するアルツハイマー型認知症の重症度による差異であると解されるところ,塩酸ドネペジルが軽度及び中等度アルツハイマー型認知症症状の進行抑制に有効かつ安全であることが確認されていたとしても,より重症である高度アルツハイマー型認知症症状の進行抑制に有効かつ安全であるとするには,高度アルツハイマー型認知症の患者を対象に塩酸ドネペジルを投与し,その有効性及び安全性を確認するための臨床試験が必要であったと認められる。

そして,「用途」とは「使いみち。用いどころ。」を意味するものであり,医薬品の「用途」とは医薬品が作用して効能又は効果を奏する対象となる疾患や病症等をいうと解され,「用途」の同一性は,医薬品製造販売承認事項一部変更承認書等の記載から形式的に決するのではなく,先の承認処分と本件承認処分に係る医薬品の適用対象となる疾患の病態(病態生理),薬理作用,症状等を考慮して実質的に決すべきであると解されるところ,本件のように,対象となる疾患がアルツハイマー型認知症であり,薬理作用はアセチルコリンセルテラーゼの阻害という点では同じでも,先の承認処分と後の処分との間でその重症度に違いがあり,先の承認処分では承認されていないより重症の疾患部分の有効性・安全性確認のために別途臨床試験が必要な場合には,特許発明の実施について安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分であって政令で定めるものを受ける必要があった場合に該当するものとして,重症度による用途の差異を認めることができるというべきである。

よって,本件においては,前記判示のとおり,疾患としては1つのものとして認められるとしても,用途についてみれば,先の承認処分における用途である「軽度及び中等度アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」と本件承認処分における用途である「高度アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」が実質的に同一であるといえないとして,存続期間の延長登録無効審判請求を不成立とした審決は,その判断の結論において誤りはない。

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6 原告らの主張する弊害について



先の承認処分と本件承認処分における「軽度及び中等度アルツハイマー型認知症」と「高度アルツハイマー型認知症」の区別については,前記の本件承認処分に至る経緯に鑑みると,FASTが6以上のアルツハイマー型認知症を「高度アルツハイマー型認知症」とすることを前提としていると解される。しかし,先の承認処分及び本件承認処分においてアルツハイマー型認知症のうちの「軽度」「中等度」「高度」について明確な定義や基準が示されていないこと,FASTはアルツハイマー型認知症を病期や重症度によって区別する判定基準の1つにすぎないこと(甲44)に照らすと,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症に対してはいわゆる後発薬を使用できるが,高度アルツハイマー型認知症に対しては後発薬は使用できないことになるという事態が医療現場に混乱が生じさせるものであるとの主張自体をあながち理由のないものとすることはできない。

しかし,この主張自体仮定的なものであるし,また,基準が一義的に明確ではないにしろ,アルツハイマー型認知症が初期・中期・後期,あるいは軽度・中等度・高度といった段階に分けられることは前記のとおりである。そして,本件全証拠に照らしても,被告が,本件特許権の存続期間を延長するために,アルツハイマー型認知症の病期の一部(高度アルツハイマー型認知症)のみをことさら便宜的に取り出して,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症とは別に臨床試験等を行ったとは認められない。また,先の承認処分と後の処分との間でその重症度に違いがあり,先の承認処分では承認されていないより重症の疾患部分の有効性・安全性確認のために別途臨床試験が必要であった場合には,その臨床試験等のために費やした期間は特許存続期間が浸食されており,特許発明の実施について安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分であって政令で定めるものを受ける必要があった場合に該当すると解されることは前記のとおりである。

そうすると,原告らの指摘する医療現場に混乱が生じるおそれや先の承認処分と本件承認処分のいずれもアルツハイマー型認知症という点では用途が同じであることを理由にして,先の承認処分と本件承認処分の用途が同じであるということはできない。

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判決原文(全文)




平成21(行ケ)10423等 審決取消請求事件 特許権 行政訴訟平成23年02月22日 知的財産高等裁判所 




平成23年2月22日判決言渡同日判決原本領収裁判所書記官平成21年(行ケ)第10423号,第10424号,第10425号,第10426号,第10427号,第10428号,第10429号審決取消請求事件


口頭弁論終結日平成23年2月1日



判決





主文



原告らの各事件請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。



事実及び理由





第1 原告らが求めた判決



特許庁が無効2008-800238号事件,無効2008-800239号事件,無効2008-800240号事件,無効2008-800241号事件,無効2008-800242号事件,無効2008-800243号事件,無効2008-800244号事件の各事件につき,平成21年11月25日にした各審決を取り消す。

(本件訴訟の事件番号が順に上記審判事件番号に対応する。)



第2 事案の概要



本件は,特許権の存続期間の延長登録に対する無効審判請求を不成立とする審決の取消訴訟である。争点は,本件延長登録に先だってされた延長登録の理由となった処分の対象物について特定された用途と,本件延長登録におけるそれとが実質的に同一であるか否か,である。

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1 特許庁における手続の経緯及び薬事法上の承認





(1) 本件延長登録と無効審判請求



被告は,昭和63年6月22日,名称を「環状アミン誘導体」とする発明について特許出願(特願昭63-153852号)をし,平成8年11月7日に特許庁から特許第2578475号として設定登録を受けた(請求項の数6)。

被告は,平成19年11月22日に本件特許の存続期間延長登録を出願し(2007-700111号,700112号,700113号,700114号,700115号,700116号,700117号),上記各出願につき延長の期間を5年とする本件特許権の存続期間の延長登録が平成20年6月25日にされたところ(本件延長登録),原告らは,平成20年11月7日,本件延長登録に対する無効審判請求をした。

特許庁はこれらの請求を上記の出願番号順に,無効2008-800238号事件,800239号事件,800240号事件,800241号事件,800242号事件,800243号事件,800244号事件として審理した上,平成21年11月25日,いずれの事件についても「本件審判の請求は,成り立たない。」旨の審決をし,その謄本は平成21年12月7日原告らに送達された。

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(2) 先の延長登録



本件特許については,本件延長登録で理由となった承認処分の対象で特定された用途と実質的に同一の用途であると原告らが主張する「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」をもって,承認処分の対象となった物について特定された用途とし,その承認処分(先の承認処分)を理由とする存続期間延長登録が平成13年12月19日になされている(特願平11-700114号に基づく。2年11月12日の期間延長)。

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(3) 本件延長登録の理由となった処分



本件延長登録は,本件特許に係る発明の実施について政令(特許法施行令)に定める処分を受けることが必要であったとして認められたものであり,その政令で定める処分の内容は,次のとおりである(本件承認処分)。

・標題医薬品製造販売承認事項一部変更承認

・承認番号

700111号の出願につき21100AMZ00662000号

700112号の出願につき21100AMZ00663000号

700113号の出願につき21900AMX01197000号


  • 4 -



700114号の出願につき21600AMZ00405000号

700115号の出願につき21600AMZ00406000号

700116号の出願につき21900AMX01198000号

700117号の出願につき21300AMZ00373000号

・承認日平成19年8月23日

・処分の対象となった物塩酸ドネペジル

・処分の対象となった物について特定された用途

アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制(ただし,軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制を除く。)

・販売商品名

700111号の出願につきアリセプト錠3㎎

700112号の出願につきアリセプト錠5㎎

700113号の出願につきアリセプト錠10㎎

700114号の出願につきアリセプトD錠3㎎

700115号の出願につきアリセプトD錠5㎎

700116号の出願につきアリセプトD錠10㎎

700117号の出願につきアリセプト細粒0.5%

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2 本件特許発明の要旨(請求項1~6の記載)



【請求項1】

下記化学式で表される1-ベンジル-4-〔(5,6-ジメトキシ-1-インダノン)-2-イル〕メチルピペリジン又はその薬理学的に許容できる塩。(化学式は省略)

【請求項2】

請求項1記載の1-ベンジル-4-〔(5,6-ジメトキシ-1-インダノン)-2-イル〕メチルピペリジン又はその薬理学的に許容できる塩を有効成分とするアセチルコリンエステラーゼ阻害剤。


  • 5 -



【請求項3】

請求項1記載の1-ベンジル-4-〔(5,6-ジメトキシ-1-インダノン)-2-イル〕メチルピペリジン又はその薬理学的に許容できる塩を有効成分とする各種老人性痴呆症治療・予防剤。

【請求項4】

各種老人性痴呆症がアルツハイマー型老年痴呆である請求項3記載の治療・予防剤。

【請求項5】

1-ベンジル-4-〔(5,6-ジメトキシ-1-インダノン)-2-イリデニル〕メチルピペリジンを還元し,必要により造塩反応を行うことを特徴とする請求項1記載の1-ベンジル-4-〔(5,6-ジメトキシ-1-インダノン)-2-イル〕メチルピペリジン又はその薬理学的に許容できる塩の製造法。

【請求項6】

1-ベンジル-4-ピペリジンカルバルデヒドと5,6-ジメトキシ-1-インダノンを反応させて1-ベンジル-4-〔(5,6-ジメトキシ-1-インダノン)-2-イリデニル〕メチルピペリジンとし,次いで還元し,必要により造塩反応を行うことを特徴とする請求項1記載の1-ベンジル-4-〔(5,6-ジメトキシ-1-インダノン)-2-イル〕メチルピペリジン又はその薬理学的に許容できる塩の製造法。

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3 審決の理由の要点



請求人(原告ら)は,本件延長登録が無効とされるべき理由として,先の存続期間延長登録の理由となった処分(先の承認処分)の対象となった物について特定された用途は,「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」(先の用途)であり,これを効能・効果とする処分に基づいて当該延長登録は認められたとした上で,先の用途と,本件延長登録の理由となった処分(本件処分)の対象となった物について特定された用途(本件用途)である「アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制(但し,軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制を除く。)」(実質的には「高度のアルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」)は,実質的に同一であり,本件延長登録は,本件特許発明の実施に特許法67条2項の政令で定める処分を受けることが必要であったとは認められない場合の出願に対してされたものであ ると主張する。

しかし,先の用途である「軽度及び中程度のアルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」と本件延長登録に係る用途である「アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制(但し,軽度及び中程度のアルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制を除く。)」(実質的には「高度アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」)は実質的に同一ではないから,本件延長登録は,本件特許発明の実施について安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分であって政令で定めるものを受ける必要がない場合の出願に対してなされたものではない。

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第3 原告ら主張の審決取消事由


特許法67条2項の「その特許発明について・・・処分・・・を受けることが必
要である」との文言は,薬事法所定の承認処分があったことをもって形式的に捉え
るべきではなく,薬事法14条1項の承認の対象となる医薬品に関しては,物(有
効成分)と用途(効能・効果)の2つの観点の異同につき処分を受けることが必要
であったか否かで判断されるべきであるところ,審決には,本件承認処分と先の承
認処分の用途の同一性についての判断の誤りがあるので,違法として取り消される
べきである。
1 「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症」と「高度のアルツハイマー型
認知症」は,実質的には同一の疾患であること
(1) 各種診断基準において,アルツハイマー型認知症は,軽度,中等度,高度


  • 7 -


と区分されることなく同一疾患として取り扱われていること
認知症(dementia)とは,発育過程で獲得した知能,記憶,判断力,理解力,抽
象能力,言語,行為能力,認識,見当識,感情,意欲,性格などの諸々の精神機能
が,脳の器質的障害(原因疾患)によって障害され,そのことによって独立した日
常生活・社会生活や円滑な人間関係を営めなくなった状態をいう。そして,認知症
の原因疾患は多種多様であり,認知症の原因疾患が同一疾患でなければ特定の医薬
品について効能・効果が望めないから,その原因疾患を特定,診断することが医師
等に対して強く求められている。
アルツハイマー病は,認知症を引き起こす数多くの原因疾患の1つであり,認知
症の原因疾患の診断基準として,WHOによる国際疾病分類第10版(ICD-1
0)及びアメリカ精神医学会によるDSM-Ⅳ-TR(米国精神医学会診断統計便
覧第4版改訂版,DSM-Ⅳの解説(Text)を最新の新しい知見を加えて大幅に改
訂(Revision)したもの)がある。これらICD-10,DSM-Ⅳ-TRいずれ
の診断基準においても,アルツハイマー病を原因疾患とする認知症はアルツハイマ
ー型認知症として,軽度及び中等度と高度を区別せず同一疾患として取り扱われて
いる。アルツハイマー型認知症が軽度,中等度,高度という区分によってそれぞれ
異なった疾患であるならば,ICD-10,DSM-Ⅳ-TRにおいて,当然区別
されて取り扱われているはずのところ,そのような区別が全くされていないこと
は,いずれも同一の疾患であるからにほかならない。軽度,中等度,高度といった
区分は,同一疾患であるアルツハイマー型認知症の病期などを多数あるうちの特定
の評価スケールに基づいて区別した便宜的なものにすぎない。
(2) アルツハイマー型認知症においては,軽度,中等度,高度の区別なく,同
一の特徴的な病理所見が認められること
アルツハイマー型認知症患者の脳組織の病理学的所見として,老人斑,神経原繊
維変化,神経細胞の脱落が認められるが,これらの病理所見は,軽度,中等度,高
度の区別なく認められるアルツハイマー型認知症の特徴的な病理所見である。アル


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ツハイマー型認知症において,軽度,中等度,高度の区別なく,同一の特徴的な病
理所見が認められることは,被告などの研究者らによる雑誌論文等(甲25の1・
2,35,36の1・2,43)からも認められる。すなわち,上記論文等によれ
ば,アルツハイマー型認知症においては,老人斑,神経原繊維変化,神経細胞の脱
落という病理所見が疾患早期から現れ,緩やかにかつ少しずつ進行していくもので
あり,そこには,軽度のみ,中等度のみ,高度のみと区分されたものだけに認めら
れる特有・固有の病理所見というものはない。
(3) アルツハイマー型認知症において,軽度,中等度,高度の区別なく,同一
の特徴的な画像診断結果が認められること
アルツハイマー型認知症の患者には,脳組織の病理所見のみならず,画像診断結
果においても,軽度,中等度,高度の区別なく同一の特徴的な脳の萎縮が認められ
る。
(4) アルツハイマー型認知症の病態は,軽度,中等度,高度などの区分によっ
て異なるものではなく,同一のものであること
雑誌論文等(甲38の1,39,40)の記載によれば,アルツハイマー型認知
症の病態は,軽度,中等度,高度などの区分によってそれぞれ異なるというもので
はない。また,被告作成の総合製品情報概要-DI編-(甲9)の22頁8~9行
には,「本剤が,脳神経細胞の脱落抑制など,アルツハイマー型認知症の病態その
ものの進行に対して影響するかどうかについて基礎的,臨床的検討はなされていな
い。」と記載されており,アルツハイマー型認知症の病態について,軽度,中等
度,高度にかかわらず,「脳神経細胞の脱落抑制などアルツハイマー型認知症の病
態そのもの」と記載されている。審決は,後記のとおり,病態と症状とを混同した
誤りがある。
(5) アルツハイマー型認知症は,進行性,連続性の疾患であり,その間に質的
変化が生じるものではないこと
アルツハイマー型認知症は,緩徐な発症と持続的な認知機能の低下を特徴とする


  • 9 -


進行性,連続性の疾患であり,その間に質的変化が生じるものでないことは,先の
承認処分及び本件承認処分における審査当局のアルツハイマー型認知症の捉え方に
も現れている。すなわち,先の承認処分に係る審査報告書(甲5)添付の調査会に
おける審査概要に「効能・効果に関して,本薬の効果はアルツハイマー型痴呆の治
療ではなく症状の進行を抑制するものであることから,効能・効果を適切な記載と
するよう検討を求めた・・・,効能・効果に関連する使用上の注意に『本剤がアル
ツハイマー型痴呆の病態そのものの進行を抑制するという成績は得られていない。
』と記載された。また,アルツハイマー型痴呆以外の痴呆性疾患患者に投与されな
いよう明確に注意喚起するよう求めたところ,効能・効果に関連する使用上の注意
に『アルツハイマー型痴呆以外の痴呆性疾患において本剤の有効性は確認されてい
ない』と記載された。」(13頁)と記載されているとおり,先の承認処分では,
その対象が「軽度・中等度」のアルツハイマー型痴呆であったにもかかわらず,審
査当局は,使用上の注意において,そのような限定を付すことを全く求めなかっ
た。審査当局が,アルツハイマー型認知症について,軽度,中等度,高度によって
それぞれ異なった別疾患であると捉えていたならば,使用上の注意において「本剤
が『軽度及び中等度の』アルツハイマー型痴呆の病態そのものの進行を抑制すると
いう成績は得られていない」,「『軽度及び中等度の』アルツハイマー型痴呆以外
の痴呆性疾患において本剤の有効性は確認されていない」との注意喚起の記載をす
るはずであり,とりわけ後者については,他の痴呆性疾患患者に投与されないよう
にするための注意喚起であるから,「軽度及び中等度の」という制限を付記するは
ずである。
また,先の承認処分に係る審査報告書(甲5)添付の審査概要書(その2)に
は,「本薬はあくまでも対症療法薬である。しかしながら,アルツハイマー型痴呆
は進行性の疾患であり,本邦ではアルツハイマー型痴呆の中核症状に対する薬剤が
ない現状を考慮すると,本薬の臨床上の有用性は存在すると考えた。」(16頁)
と記載されており,審査当局はここでも軽度,中等度,高度の区別をしていない。


  • 10 -


このような各記載からすれば,当局が,先の承認処分時において,アルツハイマ
ー型認知症について,軽度,中等度,高度によってそれぞれ異なる疾患ではなく,
いずれも同一の疾患であると捉えていたことが認められる。だからこそ,本件承認
処分における効能・効果の記載についても「重症度に依らず」,「アルツハイマー
型認知症」と一括りとすることができたのである。
加えて,アルツハイマー型認知症は,緩徐な発症と持続的な認知機能の低下を特
徴とする進行性,連続性の疾患であり,その間に質的変化が生じるものでないこと
は,文献(甲31)の記載からも認められる。
さらに,文献(甲41の1・2)に「重症認知症患者の治療におけるドネペジル
の使用は増えており,」(甲41の1の2頁,2の10頁)と記載されているよう
に,従前から,(塩酸)ドネペジルが高度(重度)アルツハイマー型認知症患者に
も使用されていた事実があり,臨床試験においても,本件医薬品の治験データとし
て提出されている外国試験(外国324試験)(甲3の18頁)において,中等度
と高度が一括りとして取り扱われている。その上,先の承認処分によって保険診療
上認められた本件医薬品の適応範囲か否かの判断は,高度についてはその適応に含
まれていなかったことから,対象患者が中等度か高度かの判定で決まるはずである
ところ,このような判定をどのような尺度をもってどのように行うのか全く定めら
れていなかった。
(6) 小括
以上のとおり,アルツハイマー型認知症において,「軽度及び中等度」と「高
度」という区分により異なった別疾患であることを裏付けるものはなく,各種診断
基準において同一疾患として取り扱われていること,軽度,中等度,高度の区別な
く同一の特徴的な病理所見及び画像診断結果が認められること,アルツハイマー型
認知症の病態が軽度,中等度,高度の区分によって病態が異なるものではなく同一
のものであること,アルツハイマー型認知症は進行性,連続性の疾患であるが,そ
の間に質的変化が生じて別疾患に転化するものではないこと,軽度,中等度,高度


  • 11 -


という区分は,同一疾患であるアルツハイマー型認知症の経過(病期)を便宜的に
分けただけのものにすぎないこと,審査当局においても,先の承認処分時におい
て,アルツハイマー型認知症について,軽度,中等度,高度によってそれぞれ異な
った別疾患ではなく,いずれも同一の疾患であると捉えていたことが窺えることな
どからすれば,「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症」と「高度のアルツハ
イマー型認知症」とは,疾患としては実質的に同一の疾患(「アルツハイマー型認
知症」という特定の同一疾患)であることは明らかである。軽度,中等度,高度と
いう区分や初期,中期,後期という区分などは,同一疾患であるアルツハイマー型
認知症の経過(病期)を多数のうちの特定の評価スケールによって便宜的に分けた
だけのものにすぎない。
2 「軽度及び中程度のアルツハイマー型認知症」と「高度アルツハイマー型認
知症」の「症状」の相違をもって「病態」が異なるとの誤った判断に基づいて,本
件医薬品の両者に対する効能・効果は実質的に異なるとの判断をした誤り
審決は,評価スケールの1つであるFASTの区分に示された「症状」がアルツ
ハイマー型認知症の「病態」であるとして,「症状」の相違をもって「病態」が異
なると判断し,「軽度及び中程度のアルツハイマー型認知症」と「高度アルツハイ
マー型認知症」を異なる「病態に基づいて区別し得る実質的に異なる疾患である」
とし,さらに「医薬品の効能・効果とは当該医薬品が適用される疾患をいうと理解
することが相当である」から,疾患が異なることをもって「高度のアルツハイマー
型認知症における認知症症状の進行抑制」は,「軽度及び中等度のアルツハイマー
型認知症における認知症症状の進行抑制」と実質的に異なる効能・効果であると判
断したが,かかる判断は以下の理由から誤りである。
(1) 前記のとおり,「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症」と「高度の
アルツハイマー型認知症」とは,軽度,中等度,高度などという区分にかかわら
ず,疾患としては実質的に同一の疾患(「アルツハイマー型認知症」という特定の
同一疾患)である。


  • 12 -


また,処分(承認)の対象となった本件医薬品(アリセプト錠3㎎,アリセプト錠
5㎎,アリセプト錠10㎎,アリセプトD錠3㎎,アリセプトD錠5㎎,アリセプ
トD錠10㎎,アリセプト細粒0.5%)は,後記のとおり,アセチルコリンエス
テラーゼ阻害剤であり,その作用機序との関係では,アセチルコリン作動性神経細
胞の脱落が本件医薬品が効能・効果をもたらすアルツハイマー型認知症の主要な
「病態」であるといえる。そして,アルツハイマー型認知症は,「軽度及び中等度
のアルツハイマー型認知症」から「高度アルツハイマー型認知症」に進行する進行
性疾患であるから,「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症」の病態も,それ
が進行した「高度アルツハイマー型認知症」の病態も,本件医薬品との関係におい
て,アセチルコリン作動性神経細胞の脱落を病態とする点において同じであるか
ら,両者は病態に基づいて区別し得ない実質的に同一の疾患である。
よって,「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症」と「高度のアルツハイマ
ー型認知症」とが疾患として実質的に同一のものであり,本薬の薬理作用も同一の
ものである以上,「高度のアルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑
制」と「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑
制」とは実質的に同一の効能・効果である。
(2) 審決が,FASTの区分に示された「症状」をもって「病態」としたのは
明らかに誤りである。
アすなわち,アルツハイマー型認知症の「病態」は,医学的には「症状」
とは異なる概念である。例えば,「脳神経疾患ビジュアルブック」(甲38の1)
の196頁には,アルツハイマー病の項において,「病態」のタイトルを付して,
「・アミロイド仮説:アミロイドβ(Aβ)タンパクという異常なタンパクからな
る老人斑(SP)の出現が病態の主体である。・そのほか,変性した神経原線維の
出現,アセチルコリン作動性神経細胞の顕著な脱落により,脳細胞が急激に減少し
て脳が萎縮し,知能低下や人格崩壊が起こる。」と記載され,別に「症状・臨床所
見」のタイトルを付して,「・前駆状態としての軽度認知機能障害,・緩徐進行性


  • 13 -


の近時記憶障害と時間や場所の失見当識が主体,・後期には人格/行動変化,精神
症状が現れる。これらを認知症随伴心理行動異常(BPSD)という。」と記載さ
れていることから,アルツハイマー型認知症の「病態」は,「症状」とは異なる概
念であることがわかる。
また,「診断と治療」(甲43)の2242頁左欄8行~右欄2行には,アルツ
ハイマー病の「病態」の記載からも,アルツハイマー病の「病態」とは,医学的に
は,脳神経細胞の脱落等の脳の変化あるいはそれを引き起こす機序のようなものを
意味すると考えられ,アルツハイマー病の「症状」とは別異の概念であることがわ
かる。
その他,アルツハイマー病の「病態」について,同様の記載は,からだの百科事
典(甲39)やMedical Dictionary(甲40)等にみられる。
加えて,アルツハイマー型認知症の「病態」が「症状」とは異質のものであるこ
とは,被告及び審査当局においても認識されている。すなわち,被告が作成した医
薬品インタビューフォーム(甲6)の13頁11行~12行には「本剤はアセチル
コリンエステラーゼ阻害剤であり,コリン作動性神経系の賦活によりアルツハイマ
ー型認知症の症状を改善することを目的としており,病態そのものの進行を抑制す
る薬剤ではない。」と記載されており,また,被告作成の総合製品情報概要-DI
編-(甲9)の22頁8行~9行には,「本剤が,脳神経細胞の脱落抑制など,ア
ルツハイマー型認知症の病態そのものの進行に対して影響するかどうかについて基
礎的,臨床的検討はなされていない。」と記載されているとおり,被告は,「病
態」と「症状」の用語を区別して,それら用語の意味を使い分けている。そして,
本件承認処分に係る審査の結果認められた本件医薬品の効能・効果は,「アルツハ
イマー型認知症における認知症症状の進行抑制」であるから,本件医薬品が進行を
抑制するという成績がない,脳神経細胞の脱落などのアルツハイマー型認知症の
「病態」は,本薬が進行を抑制するという成績があるアルツハイマー型認知症の認
知症「症状」とは異質のものであることが,被告にも認識されていることは明らか


  • 14 -


である。審査当局も,先の承認処分に係る調査において,「効能・効果に関して,
本薬の効果はアルツハイマー型痴呆の治療ではなく症状の進行を抑制するものであ
ることから,効能・効果を適切な記載とするよう検討を求めたところ,・・・・効
能・効果に関連する使用上の注意に『本剤がアルツハイマー型痴呆の病態そのもの
の進行を抑制するという成績は得られていない。』と記載された。」(甲5,13
頁)として,従前から,「病態」と「症状」の用語を区別して,それら用語の意味
を使い分けているのであり,審査当局においても,アルツハイマー型認知症の「病
態」が「症状」とは異質のものであることは認識されているところである。
しかるに,審決は,アルツハイマー型認知症の「症状」を「病態」であると判断
し,「症状」の相違をもって「病態」が異なると判断したものであり,かかる判断
は明らかに誤りである。
イそもそも,FASTなどの評価スケールは認知症の有無及び程度(病状
の段階)を測るためのものに過ぎず,一義的に確立確定されたものではなく,まし
て疾患を区別するためのものではない。すなわち,評価スケールというものは,特
定されたものが1つだけあるのではなく,任意に多数存在しているものであり(甲
44の「目次」等参照),これらの評価スケールのうちどれを使っても同じ結論を
導き出すことができるというものではなく,用いた評価スケールによってそれぞれ
導き出される結論は異なり,一義的な結論を導き出すことはできない。このこと
は,「これらの(FASTなどの:原告ら注)知的機能検査法は,痴呆の疑いのあ
る老人のスクリーニングおよびその知的機能の段階づけをすることができるが,痴
呆の診断はあくまでも臨床的診断基準に基づき,医師によって慎重に行わなければ
ならないことを留意していただきたい。」(甲44の冒頭の「利用にあたって」に
おける大塚俊男医師及び本間昭医師による記述)からも明らかである。
また,「高度」という用語自体,明確に定義付けされているものではなく,数多
くある評価スケールのうち,どの評価法を用いて,どの程度であれば,高度認知機
能障害というのかも定かではなく,認知機能を評価するといってもどの評価法を用


  • 15 -


いているかを含めて定められた方法がないのが現状である(甲22添付の添付資料
3)。
そして,評価スケールの1つであるFASTについても,アルツハイマー型痴呆
についてその「病期」をADLの障害の程度によって分類したものにすぎないので
あって,そもそも疾患を区別することを目的とするものでもなく,「内容の具体性
と一般性は一致しないことが多」く(甲44の62頁),「具体的な記述により重
症度の評価がしやすい一方,記述されている症状の経過と患者の経過とがつねに一
致するわけではないことを頭に入れて評価を行う必要がある」(甲45)という程
度の評価スケールにすぎない。
したがって,FASTの区分を用いて,アルツハイマー型認知症について,ある
程度,病期(経過)を便宜的に区分することとはできたとしても,それによって,
別疾患かどうかまで区別することなど到底できるものではない。付言すれば,評価
スケールというものは,疾患を表すものではなく,疾患の本質について何かを語る
というものでは全くないのである。
(3) 以上のとおり,評価スケールの1つにすぎないFASTの区分に示された
「症状」をアルツハイマー型認知症の「病態」であると誤った判断をし,それに基
づいて,「病態」が異なるから「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症」と
「高度のアルツハイマー型認知症」が異なるとし,疾患が異なるから効能・効果が
異なるとした審決の判断が誤っていることは明らかである。
(4) なお,被告が,アルツハイマー型認知症について,軽度及び中等度と高度
とが異なった別疾患であると主張することは自己矛盾を含んでいる。すなわち,被
告においては,アルツハイマー病の終末期患者の脳の病理学的知見,言い換えれば
「高度」の疾患の病理学的知見に基づき「軽度及び中等度」に対する本件医薬品の
開発を開始しているところ,かかる経緯からすれば,被告がアルツハイマー型認知
症について,軽度,中等度,高度の区分なくいずれも同一疾患として捉えていたこ
とは明らかであり,本事件において,アルツハイマー型認知症について,軽度及び


  • 16 -


中等度と高度とが異なった別疾患であると主張すること自体に自己矛盾を含んでい
るといえる。
3 医薬品の薬理作用の異同にかかわらず「軽度及び中等度のアルツハイマー型
認知症」と「高度のアルツハイマー型認知症」に対する効能・効果は異なるとの判
断をした誤り
審決は,「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症」と「高度のアルツハイマ
ー型認知症」が実質的に異なる疾患であるとの誤った判断に加えて,「医薬品の薬
理作用の異同にかかわらず,『高度のアルツハイマー型認知症における認知症症状
の進行抑制』は,『軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症における認知症症状
の進行抑制』と異なる効能・効果である。」と判断したが(14頁27行~32
行),かかる判断は以下の理由から誤りである。
すなわち,医薬品の効能・効果は,その医薬品の薬理作用に基づく作用部位・
作用機序によってもたらされる。したがって,医薬品の効能・効果を対比するに際
しては,当該医薬品の作用部位との関係における疾患について,あるいは当該医薬
品の作用機序との関係における症状について,対比することが不可欠である。
本件医薬品は,脳内コリン作動性神経系の顕著な障害が認められているアルツハ
イマー型認知症において,アセチルコリンを分解する酵素であるアセチルコリンエ
ステラーゼを用量依存的に阻害することにより脳内アセチルコリン量を増加させ,
脳内コリン作動性神経系を賦活するという薬理作用(作用部位・作用機序)を有す
る薬剤である(甲6,21頁5~8行)。したがって,「軽度及び中等度のアルツ
ハイマー型認知症」と「高度のアルツハイマー型認知症」は,本件医薬品によって
賦活可能な脳内コリン作動性神経系に広狭の差があるにすぎず,その広狭の差に対
して,脳内アセチルコリン量を増加させて脳内コリン作動性神経系の賦活を促進す
るために,アセチルコリンエステラーゼ阻害剤である本薬を用量依存的に働かせて
いるのであり,両アルツハイマー型認知症はともに同一の作用部位が本件医薬品に
よって賦活される点で実質的に同一の疾患である。


  • 17 -


また,本件医薬品は,上記のとおり,アセチルコリンを分解する酵素であるアセ
チルコリンエステラーゼを用量依存的に阻害することにより脳内アセチルコリン量
を増加させ,脳内コリン作動性神経系を賦活するという作用機序を有する薬剤であ
る。したがって,本薬が脳内コリン作動性神経系を賦活することにより進行抑制さ
れる「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症における認知症症状」と,用量を
変えて同様に脳内コリン作動性神経系の賦活を促進することにより進行抑制される
「高度のアルツハイマー型認知症における認知症症状」とでは,実質的に,認知症
症状の進行抑制に寄与する脳内コリン作動性神経系の賦活を促進するための用量を
変える差異があるにすぎず,両認知症症状はともに,同一の作用機序に基づいて脳
内コリン作動性神経系が賦活されることにより改善されるといえる。言い換えれ
ば,両認知症症状の進行抑制効果はともに,同一の作用機序から導き出せるもので
ある点で,また同一の薬理効果により必然的に生じるものである点で,本件医薬品
の「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症」と「高度のアルツハイマー型認知
症」に対する効能・効果は実質的に同一である。
しかるに,審決は,本件医薬品の「薬理作用の異同にかかわらず,本薬の効能・
効果が異なる」と判断しており,本件医薬品の作用部位との関係における疾患につ
いて,また本薬の作用機序との関係における認知症症状について何ら審理すること
なく,効能・効果(用途)が実質的に異なるとの誤った判断をしており,かかる判
断が誤りであることは明らかである。
4 薬事法所定の承認処分をもって特許法上の用途(効能・効果)も異なるとの
判断をした誤り
審決は,「上記(5-2)において認定したとおり,塩酸ドネペジルを有効成分
とするアルツハイマー型認知症症状の進行抑制剤について,我が国においてはその
適用対象の患者の病態が『軽度及び中等度』に対してのみ承認されていたが,日本
人の『高度』のアルツハイマー型認知症患者を対象とした国内臨床試験の結果に基
づき,塩酸ドネペジルが『高度』の認知症症状の進行抑制に対する有効性を示すこ


  • 18 -


とが認められ,さらに,国内臨床現場に『高度』のアルツハイマー型認知症の進行
抑制に使用できる薬剤を初めて提供する意義が考慮され,効能・効果に『高度のア
ルツハイマー型認知症』における認知症症状の進行抑制を追加する本件処分がなさ
れたのであるから,本件処分において,『軽度及び中等度のアルツハイマー型認知
症における認知症症状の進行抑制』と『高度のアルツハイマー型認知症における認
知症症状の進行抑制』は,実質的に異なる効能・効果であると認識されていたこと
は明らかである。なお,このことは,先の承認処分後,承認された医薬品が薬価基
準に収載された際には,薬価基準の改正に伴う留意事項として,『軽度・中等度ア
ルツハイマー型認知症患者』に適用した際のみ保険適用がされると記載されている
ことと整合するものである。」(12頁35行~13頁14行)として,薬事法所
定の承認処分である本件承認処分をもって,特許法67条2項所定の処分であると
し,先の承認処分と本件承認処分とは特許法上の用途(効能・効果)も異なると判
断した。
しかしながら,特許法上の用途(効能・効果)の同一性は,薬事法所定の承認申
請区分やそれに基づく承認の枠組みに基づいて形式的に判断されるべきものではな
い。
本件承認処分に係る審査報告書(甲3)には,「本薬は,日本人高度アルツハイ
マー型認知症患者を対象とした国内231試験において,SIB及びCIBIC Plusの二つの
主要評価項目で,ともに有効性が示されたことから,現行の軽度及び中等度と併せ
て,重症度に依らず認知症症状の進行を抑制する効果を有すると判断した。したが
って,本薬の効能・効果から『軽度及び中等度』の限定を削除し,本薬をアルツハ
イマー型認知症における認知症症状の進行を抑制する薬剤と位置付けることは妥当
と考える。」(28頁2行~6行)と記載されており,審査当局は,本件医薬品の
効能・効果に係る認知症症状の進行抑制効果が,重症度に依らないとの判断を示
し,本件承認に係る疾患を「アルツハイマー型認知症」に統一している。効能・効
果から重症度の限定を削除することは,その効能・効果に係る疾患名が同一である


  • 19 -


と審査当局が認識していたからこそなされたのであり,審査当局は,先の承認処分
に係る疾患名も,本件処分に係る疾患名も,「アルツハイマー型認知症」である点
において同一であると認識していたことは明らかである。加えて,「軽度及び中等
度のアルツハイマー型認知症」と「高度のアルツハイマー型認知症」の進行抑制効
果はともに同一の作用機序から導き出せるものである点で,また同一の薬理効果に
より必然的に生じるものである点で,効能・効果は実質的に同一であることは前記
のとおりである。
したがって,特許法上の医薬用途として対比すれば,先の承認処分における用途
と本件承認処分における用途は同一である。
なお,審決は,薬事法所定の承認処分がなければ保険適用が受けられないことを
もって,実質的に異なる効能・効果であるかのような判断をしているようである。
しかし,先の承認処分と後の処分において,物(有効成分)と用途(効能・効果)
が実質的に同一である場合に特許期間の登録延長が認められるか否かについては,
「最初に薬事法14条1項による処分を受けて,所定の有効成分,効能・効果を有
する医薬品について製造承認を得た特許権者は,その有効成分,効能・効果を有す
る医薬品に関して,特定の品目に限ってであれ,特許発明を実施することができる
ようになっていたのであるから,同じ有効成分,効能・効果の範囲内で,剤型,用
法,用量等の変更の必要上,再度処分を受ける必要が生じたとしても,特許期間の
登録延長を認めることはできないというべきである。」(東京高裁平成12年2月
10日判決[平成10年(行ケ)第362号],甲27の1)とされているとお
り,保険適用の有無は薬事行政にかかる諸事情にすぎず,特許権存続期間延長登録
の可否とは無関係である。
よって,薬事法所定の承認処分である本件処分をもって,特許法上の用途(効能
・効果)も異なるとした審決の判断が誤っていることは明らかである。
5 審決が維持された場合に生じる弊害等
アルツハイマー型認知症は同一の病理学的変化が連続して進行していくという進


  • 20 -


行性,連続性の疾患であって,その進行に伴って諸般の症状が進行するにすぎず,
同一患者における進行度の違いを病期で表現しているにすぎないところ,病期を統
一的,画一的に区別できる客観的な方法はなく,先の承認処分及び本件承認処分に
おける「中等度」と「高度」の区別についても統一的,画一的な客観的手法はな
い。高度アルツハイマー型認知症に関し本件特許権の存続期間延長が認められる
と,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症に対してはいわゆる後発薬を使用でき
るが,高度アルツハイマー型認知症に対しては後発薬は使用できないことになる
が,上記のとおり,「中等度」と「高度」の区別について統一的,画一的な客観的
手法がないことに照らすと,かかる事態は医療現場に混乱が生じさせるものであ
る。また,現場の医師からすれば,後発医薬品の適用範囲内かを客観的に確認する
基準や方法がないことから,特許権侵害の事態が生じるのを避けるため,やむを得
ず先発医薬品(すなわち被告製品であるアリセプト)を使用し続けざるをえなくな
り,このことは医療費抑制のための後発医薬品推奨の社会的価値を無視してしまう
ことになる。加えて,先発医薬品が本件特許権の効力の及ばない「軽度及び中等度
アルツハイマー型認知症」までも事実上独占することを許容することになるが,こ
れは発明の奨励と存続期間満了後の第三者の事業活動の事由との調和を図る特許制
度の趣旨に反するものである。進行性疾患の病期の一部のみを便宜的に取り出して
の特許権の期間延長は認められるべきではない。

top



第4 被告の反論


審決の認定判断に誤りはなく,原告ら主張の取消事由は理由がない。
1 用途の同一性は効能・効果の同一性により判断されること
特許法は,同法67条2項の政令で定める処分の対象となった「物」及び「用
途」ごとに特許権の存続期間の延長登録の出願をすべきであるという制度を採用し
ており,処分の対象となった「物」は「有効成分」を,「用途」は「効能・効果」
を意味するものと解される(知財高裁平成19年7月19日判決〔平成18年(行


  • 21 -


ケ)第10311号〕,乙4)。
2 厚生労働省が新効能医薬品として承認していること
医薬品の製造販売の承認については,薬事法第14条の規定に基づき,これを製
造販売しようとする者から申請があった場合に,申請に係る医薬品の成分・分量,
用法・用量,効能・効果,副作用等に関する所要の審査を行った上で,厚生労働大
臣が品目ごとにその承認を与えることとされており,承認申請にあたっては,その
時点における医学薬学等の学問水準に基づき,倫理性,科学性及び信頼性の確保さ
れた資料により,申請に係る医薬品の品質,有効性及び安全性を立証するための十
分な根拠が示される必要がある(薬食発第0331015号「医薬品の承認申請に
ついて」,甲11の1頁)。そして,医薬品医療機器総合機構(当局)は,申請に
係る医薬品の成分・分量,用法・用量,効能・効果,副作用等に関する所要の審査
に必要な情報を精査して,申請に係る医薬品の申請区分(甲11別表2-
(1)),承認申請書に記載される「効能・効果」の記載について審査し,その妥
当性について判断する。ここで,申請に係る医薬品は,上記別表に記載のように,
例えば(1)新有効成分含有医薬品,(2)新医療用配合剤,(3)新投与経路医
薬品,(4)新効能医薬品,(5)新剤型医薬品,(6)新用量医薬品,(7)剤
型追加に係る医薬品などに分類されるところ,本件処分に係る医薬品は「(4)新
効能医薬品」として審査され,承認されたものである。上記通知(甲11)によれ
ば,「(4)新効能医薬品」は,「既承認医薬品等と有効成分及び投与経路は同一
であるが,効能・効果が異なる医薬品をいう」と定義されている。「新効能医薬
品」については,当局の専門の審査官が,上記承認申請書に添付すべき資料(申請
資料)を精査した結果,既承認医薬品と効能・効果が異なるものであるか否か調査
し,その新効能についての有効性を審査し,その新効能について有効性が認められ
ると判断して初めて効能追加の一部変更承認を得られるのである。
このように,本件承認処分においては,当局の専門の審査官が,本件医薬品は既
承認医薬品である軽度及び中等度アルツハイマー型認知症における認知症症状の進


  • 22 -


行抑制と効能・効果が異なる「新効能医薬品」として妥当であると判断し,有効性
・安全性に関する審査を行っているのであるから,このような医薬品の審査におけ
る専門性を備えた担当官の判断を覆して,本件承認処分の追加効能・効果が先の承
認処分の効能・効果と異なるものではないと判断することには無理がある。存続期
間延長登録出願の審査に際して,医薬品の製造販売承認を担当する当局の専門の審
査官の判断は尊重されるべきである。
審決は,本件承認申請に対する審査の経緯を認定した上,これに基づき,「効能
・効果に『高度のアルツハイマー型認知症』における認知症症状の進行抑制を追加
する本件処分がなされた」のであるから,本件処分において,「軽度及び中等度ア
ルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」と「高度アルツハイマー型
認知症における認知症症状の進行抑制」は,実質的に異なる効能・効果であるとし
て認識されていたことは明らかである旨判断している(13頁5~10行)。審決
は,当局の審査において「軽度及び中等度アルツハイマー型認知症における認知症
症状の進行抑制」と「高度アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑
制」が効能・効果が異なるものとして扱われ,本件医薬品の効能・効果にその「高
度アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」という新たな効能・効
果を追加することが承認されたことをもって,軽度及び中等度アルツハイマー型認
知症における認知症症状の進行抑制と高度アルツハイマー型認知症における認知症
症状の進行抑制が実質的に異なる効能・効果であると判断しているのであり,その
点に何ら誤りはない。
また,製造販売承認により医薬品の販売は法的には可能となるものの,その医薬
品について薬価が決定され,「使用薬剤の購入価格(薬価基準)」に収載されなけ
れば,保険給付の対象とならず,事実上,当該医薬品を患者に施用したり処方した
りすることはできない(健康保険法第63条,第64条,保険医療機関及び保険医
療養担当規則第19条,平成18年厚生労働省告示第107号)。薬価収載された
際に記載される「効能・効果」は,製造販売承認時の「効能・効果」そのものであ


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るところ,塩酸ドネペジルの最初の承認の際には,保険発第156号「薬価基準の
一部改正について」(甲18)の「Ⅱ2 アリセプト錠3mg,同5mgの保険適
用上の取扱い等」の欄に「(1)効能又は効果『軽度及び中等度のアルツハイマ
ー型痴呆における痴呆症状の進行抑制』であることから,軽度又は中等度のアルツ
ハイマー型痴呆であることが確認された患者に対して使用した場合に限り算定でき
るものであること。」と記載された。上記留意事項は,先の承認処分に係る医薬品
は高度アルツハイマー型認知症患者には保険適用できないこと,すなわち,薬事法
上,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症と高度アルツハイマー型認知症とは別
の疾患として取り扱われていることの証左である。審決も,上記の留意事項として
「軽度及び中等度アルツハイマー型認知症患者」に適用した際のみ保険適用がされ
ると記載されていることを,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症における認知
症症状の進行抑制と高度アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制が
効能効果を異にすることの根拠としており,その点に何ら誤りはない。
3 先の承認処分と本件承認処分の効能・効果は疾患の病態等を考慮しても異な
ること
広辞苑第5版(甲20)によれば,「病態」は「①病気の容態。病状。②病的状
態」である。また大辞泉第1版(乙8)によれば,「病態」は「①病気のぐあい。
病状。容態。②病的な状態」である。
そして,アルツハイマー型認知症の病態(病気の容態,病状,病的状態,症状な
ど)は,例えば,米国で作成されたFAST(Functional Assessment Staging)に
よって評価されることが一般的であるところ(甲21),軽度アルツハイマー型認
知症の病態(病気の容態,病状,病的状態,症状など)は,FASTの段階4に相
当し,また,中等度アルツハイマー型認知症の病態(病気の容態,病状,病的状
態,症状など)は,FASTの段階5に相当する。FASTにおいて特徴とされて
いる「夕食に客を招く段取りをつけたり,家計を管理したり,買物をしたりする程
度の仕事に支障をきたす。」(軽度アルツハイマー型認知症),「介助なしでは適


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切な洋服を選んで着ることができない。入浴させるとき何度もなだめすかして説得
することが必要なことがある。」(中等度アルツハイマー型認知症),といった健
常者であればできるはずの日常生活における比較的複雑な判断を要する仕事に支障
をきたすというのが病態(病気の容態,病状,病的状態,症状など)である。一
方,高度アルツハイマー型認知症の病態(病気の容態,病状,病的状態,症状な
ど)は,FASTの段階6と7に相当する。高度アルツハイマー型認知症では,
(6-a)ボタンが掛けられないなどの不適切な着衣,(6-b)入浴に介助が必要,(6-c)
トイレの水を流せない,(6-d)尿失禁,(6-e)便失禁,(7-a)6語に限定された言語
機能の低下,(7-b)語彙は一つの単語となる,(7-c)歩行能力の喪失,(7-d)着座能
力の喪失,(7-e)笑う能力の喪失,(7-f)昏迷および昏睡などといった病状,すなわ
ち生活に最低限必要な機能の障害が見られる。このような高度アルツハイマー型認
知症の病態が,上記FASTの表に記載の軽度及び中等度アルツハイマー型認知症
の病態と実質的に同一であると考える専門医は皆無であるし,専門医でなくともア
ルツハイマー型認知症患者を診療する医師においては,その病態の違いは容易に認
識できる。「軽度及び中等度アルツハイマー型認知症」と「高度アルツハイマー型
認知症」とは,病態において大きく異なるというべきである。
審決は,上記病態の相違について正しく認定した結果,本件承認処分に係る医薬
品の「効能・効果」は先の承認処分の「効能・効果」と実質的に同一でないという
正しい判断をなしたものである。
また,軽度及び中等度,高度アルツハイマー型認知症の全てについて,その病態
の変化を評価し,医薬の効能・効果を評価するのに適する認知機能評価尺度は,今
もって存在しない。そのため,世界的にも,軽度アルツハイマー型認知症,中等度
アルツハイマー型認知症及び高度アルツハイマー型認知症で通して治験を行って,
医薬品の製造承認を得たという例はこれまで見られない。Aが,見解書(甲22)
において,「ADの薬効評価では,認知機能検査と臨床像の変化を評価する全般臨
床評価の2つが主要評価項目として用いられる。軽度・中等度ADあるいは高度A


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Dを問わずに,認知機能の推移を評価できる認知機能検査は国内外を問わず存在し
ない。その理由は,以下の通りである。ADを含む認知症患者を対象として認知機
能検査を実施する際には,質問の意味を理解し,課題を遂行できる能力が求められ
る。しかし,軽度・中等度AD患者に適した課題は高度AD患者にとっては難し過
ぎ,質問の意味を理解できないため課題を遂行できず,得られた結果に基づいて高
度ADの経過を評価することができない。一方,高度ADに適した課題は軽度・中
等度ADでは容易すぎ,ほぼ全員が正解するという結果となり,軽度・中等度のA
Dの経過を評価することができない。従って,単一の評価方法で,軽度・中等度A
Dと高度ADの両方を同時に評価することはできない。」(6頁2行~11行),
「ADの病態が軽度・中等度であるか,高度であるかを問わず,すべてのADにお
ける認知症症状の経過を評価することが可能な,単一の評価方法は存在しない。従
って,軽度・中等度ADの評価に適した評価方法を用いて行った臨床試験の結果
を,高度ADを含む全範囲のADについての効果であると推測することも科学的に
不可能である。したがって,1つの臨床試験によって,軽度・中度ADにおける認
知症症状の進行抑制を効能・効果とし,かつ高度ADにおける認知症症状の進行抑
制を効能・効果とすることはできない。つまり,軽度・中等度ADを対象とした臨
床試験結果を用いて得られた製造承認をもって,高度ADのそれを取得することは
科学的な観点から不可能といえる。」(6頁19~26行)と述べているように,
軽度及び中等度アルツハイマー型認知症と高度アルツハイマー型認知症とでは,そ
の病態の違いが大きすぎるために,共通の評価方法によって適切に評価することが
できない。このような状況を考慮すれば,審決が,FASTの評価スケールをもっ
て,軽度,中等度及び高度アルツハイマー型認知症を別疾患と判断したことに何ら
誤りはない。
以上より,先の承認処分及び本件承認処分に係る医薬品の適用対象となる疾患は
「病態」において全く異なるから,先の承認処分に係る「効能・効果(用途)」と
本件承認処分に係る「効能・効果(用途)」を仮に病態等を考慮して実質的に検討


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したとしても,同一でないと解するのが妥当であり,審決に誤りはない。
4 「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症」と「高度アルツハイマー型認
知症」は,疾患としては実質的に同一の疾患(「アルツハイマー型認知症」という
特定の同一疾患)であるとの主張につき
(1) 各種診断基準において同一疾患として取り扱われているとの主張について
ア原告らは,本件医薬品のインタビューフォーム(甲6)の「安全性(使
用上の注意等)に関する項目」において「他の認知症性疾患との鑑別診断に留意す
ること」とあること(36頁),及び「効果又は効能に関連する使用上の注意」欄
において「アルツハイマー型認知症以外の認知症性疾患において本剤の有効性は確
認されていない」と記載されていること(13頁)を取り上げて,患者の認知症の
原因疾患がアルツハイマー型認知症という同一の特定疾患でなければ本薬について
効能・効果が望めないことを明らかにしているとか,これらの記載は,認知症の原
因疾患について,他の原因疾患と見誤ることなく,原因疾患を特定し診断しなけれ
ばならないことを強く裏付けるものである。と主張する。
しかし,本件医薬品は,先の承認処分により軽度及び中等度アルツハイマー型認
知症における認知症状の進行抑制に効果があると認められ,本件承認処分によって
高度アルツハイマー型認知症における認知症状の進行抑制に効果があると認められ
たことにより,結果的に,これらの疾患の何れに対しても有効性が認められたもの
であり,その他の疾患に対しては臨床試験が行われておらず,有効性は認められて
いない。前記の本件医薬品のインタビューフォームの記載は,その点について注意
を促すものに過ぎず,その限りにおいて「疾患を特定し診断」しなくてはならない
というにすぎない。上記インタビューフォームの記載は,何らアルツハイマー型認
知症が軽度・中等度・高度の区別なく同一疾患であることの根拠とはならない。
かえって,上記インタビューフォームにおいては,軽度及び中等度アルツハイマ
ー型認知症と高度アルツハイマー型認知症は,それぞれに異なるものとして記載さ
れている。例えば,「2.用法及び用量」中の「(1)承認を受けた用法及び用


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量」として,「高度のアルツハイマー型認知症患者には,5mgで4週間以上経過
後,10mgに増量する。」,「(2)用法及び用量に関連する使用上の注意」と
して,「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症患者を対象とした後期臨床第II
相試験において,…その結果,5mg群は軽度及び中等度のアルツハイマー型認知
症における認知症症状の進行抑制に有効であるが,・・・。」(甲6,13頁)な
どの記載がされており,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症と高度アルツハイ
マー型認知症は,それぞれに異なる病態として捉えられていることが明らかであ
る。
イまた,原告らは,国連の専門機関の1つである世界保健機構(WHO)
により統計の目的で作成された「疾病および関連保険問題の国際統計分類の第10
改訂版」(ICD-10,甲32)及び米国精神医学会診断統計便覧第4版改訂版
(DSM-Ⅳ-TR,甲33)を挙げて,これらの診断基準のいずれもが,アルツ
ハイマー型認知症について,軽度,中等度,高度を区別していないことをもって,
これらの疾患が同一疾患として扱われているのだと主張する。
しかし,認知症の原因疾患というのは,それぞれに見られる脳病理組織所見や症
状によって認知症を分類しているものにすぎず,その「原因」を取り除くことによ
って認知症が治癒するというようなものではない。したがって,原因疾患の診断
基準が必ずしも治療法を異にする認知症の種類を規定するわけではない。また,分
類というものは,ある時点で世界をみる一つの方法にすぎず(甲32,11頁18
行),どのような基準でもって,何をどの程度細かく分類するかということは,そ
の分類の使用目的や効率などに照らして決められるべきものである。したがって,
ある分類において,アルツハイマー型認知症の軽度,中等度,高度をそれぞれ区別
していないからといって,特許存続期間延長登録に関して,これらが同一の疾患で
あると判断されるべき理由にはならない。
高度アルツハイマー型認知症は,前記のとおり,薬事法において効能・効果が既
存の「軽度及び中等度アルツハイマー型認知症」とは異なると認められたものであ


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り,「病態」の全く異なる別の疾患である。したがって,「軽度,中等度,高度な
どという区分は同一疾患であるアルツハイマー型認知症の病期などを多数あるうち
の特定の評価スケールに基づいて区別された便宜的なものにすぎない」との原告ら
の主張は失当である。
(2) 同一の特徴的な病理所見が認められるとの主張について
原告らは,アルツハイマー型認知症という特定疾患では,老人斑,神経原繊維変
化,神経細胞の脱落という病理所見が,疾患早期から現れ,緩徐にかつ少しずつ侵
していくものであり,そこには,軽度のみ,中等度のみ,高度のみなど区分された
ものだけに認められる特有・固有の病理所見というものはなく,軽度,中等度,高
度によってアルツハイマー型認知症がそれぞれ異なった別疾患であるというには無
理があると主張する。
しかし,老人斑は,アルツハイマー病だけでなく,老化に伴い非認知症脳に出現
することも知られている。神経原線維変化も加齢に伴って出現し,アルツハイマー
病への疾患特異性は低い。また,死亡後の脳を解剖検索した結果,生前にアルツハ
イマー型認知症の症状があった人の脳に,老人斑や神経原線維変化が見られること
が多いことは知られており,老人斑,神経原線維変化,神経細胞脱落などの病理所
見とアルツハイマー型認知症の病状には相関がみられることは事実であるが,一方
で,個々の例について見る場合には,老人斑,神経原線維変化,神経細胞脱落など
の病理所見と生前のアルツハイマー型認知症の病状が一致しない例も見られる。こ
のため,老人斑や神経原線維変化がアルツハイマー型認知症とどのような関係があ
るのかについては,結局,まだ明らかになっていないというべきである。そして,
老人斑,神経原線維変化,神経細胞脱落などの病理所見と,アルツハイマー型認知
症との関係は明らかではないのであるから,軽度,中等度,高度アルツハイマー型
認知症が異なる疾患であるか否かについては,病状,病態に注目して疾患の異同を
論ずるべきである。老人斑,神経原線維変化,神経細胞脱落などの病理所見をもっ
て,軽度,中等度,高度アルツハイマー型認知症が同一疾患であると断ずる原告ら


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の主張は失当である。
なお,原告らは,被告の研究者らによる雑誌論文(甲35,甲36の1・2,甲
25の1・2,甲43)に,アルツハイマー型認知症において,軽度,中等度,高
度の区別なく,同一の特徴的な病理所見が認められることが記載されているかのよ
うに主張するが,誤りである。何れの論文も,アルツハイマー病では,神経細胞の
脱落などの病理所見が見られると述べるにとどまり,軽度,中等度,高度アルツハ
イマー型認知症がそれぞれ異なる疾患であることを否定していない。
(3) 同一の特徴的な画像診断結果が認められるとの主張について
原告らは,アルツハイマー型認知症の患者には,画像診断結果においても,同一
の特徴的な脳の萎縮まで認められるのであり,そこには,軽度のみ,中等度のみ,
高度のみなど区分されたものだけに認められる特有・固有の画像診断結果はないと
主張する。
しかし,神経細胞の萎縮と数の減少は,画像検査によって正確に把握することは
難しく,アルツハイマー病の病態解明の主役にはなっていない。X線CT,MR
I,PET,SPECTなどの画像検査についてはいずれも決定的なものはなく,
アルツハイマー型の可能性が高いという範囲での判断がなされるにすぎない。前記
のとおり,そもそも軽度アルツハイマー型認知症,中等度アルツハイマー型認知
症,高度アルツハイマー型認知症において,同一の特徴的な病理所見が認められる
とはいえないのであり,画像診断についても同様に,軽度アルツハイマー型認知
症,中等度アルツハイマー型認知症,高度アルツハイマー型認知症において,同一
の特徴的画像診断結果が認められるという事実はない。
したがって,これらの疾患について,同一の特徴的画像診断結果が認められるか
らアルツハイマー型認知症として同一疾患であるとの原告ら主張には根拠がない。
(4) アルツハイマー型認知症の病態の解釈について
原告らは,雑誌論文等の記載を参照して,「アルツハイマー型認知症の病態は,
軽度,中等度,高度などの区分によって,それぞれ病態が異なるものではなく,同


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一のものである」旨主張する。
しかし,ある言葉・用語は,狭義で用いられる場合も広義で用いられる場合もあ
り,使用する文脈によっても当然に意味が異なる。「病態」という用語についても
同様に,使用者によって,また文脈に応じて異なる意味で用いられることは常識で
ある。
また,原告らは,「病態」を「病態生理」を意味するものと解しているようであ
る。「病態生理学」とは,人体の正常な機能が異常をきたしたり,調節機能が破綻
して病気の身体機能の状態と破綻をきたす原因を解き明かす学問であり(乙11,
12),疾患の原因を「病態生理」,「病態」ということはある。しかし,本件に
おいては,この解釈は全く失当である。原告らは,薬理作用を「脳内コリン作動性
神経系の顕著な障害(脱落:括弧内は被告が追記)が認められているアルツハイマ
ー型認知症において,アセチルコリンを分解する酵素であるアセチルコリンエステ
ラーゼを用量依存的に阻害することにより脳内アセチルコリン量を増加させ,脳内
コリン作動性神経系を賦活する」作用と捉えている。とすると,「病態」が「アセ
チルコリン作動性神経細胞の脱落(障害)」で,「薬理作用」が「アセチルコリン
作動性神経細胞の障害治癒のためにアセチルコリンエステラーゼ阻害による脳内コ
リン作動性神経系の賦活」と解釈することになり,「病態」と「薬理作用」の二方
向から疾患の同一性を比較検討すべきところ,両者ともに疾患のメカニズムの観点
から一方向の分析しかできなくなってしまう。疾患の同一性の判断において,その
疾患の原因となるメカニズムを検討するとしても,臨床的にその患者がどのような
病的な状態・病状・容態・症状を呈しているかを観察することなく疾患の同一性を
判断することは適切でない。
したがって,その疾患のメカニズムからの同一性の検討は「薬理作用」の同一性
判断に任せるとすれば,「病態」は「病態生理」すなわち疾患の原因ではなく,患
者の病気の容態,病状,病的状態,症状などと解して,その疾患の臨床的な同一性
の検討も行うべきであり,本件事案において,「病態」は,患者の病気の容態,病


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状,病的状態,症状などで把握するのが妥当である。
(5) 進行性・連続性疾患であり,質的変化がないという主張について
ア原告らは,「アルツハイマー型認知症は,進行性,連続性の疾患であ
り,その間に質的変化が生じる(別疾患に転化する)ものではない」と主張する。
しかし,アルツハイマー型認知症の場合は,病態あるいは個々の病状が進行によ
って顕著に変化するものであり,病態の相違から異なる疾患と判断できる以上,こ
のような主張は失当である。
また,原告らは,アルツハイマー型認知症が進行性,連続性の疾患であり,その
間に質的変化が生じる(別疾患に転化する)ものでないことは,先の承認処分及び
本件承認処分における審査当局のアルツハイマー型認知症の捉え方にも現れてお
り,先の承認処分に際して,効能・効果に関連する使用上の注意に,①本剤がアル
ツハイマー型痴呆の病態そのものの進行を抑制するという成績は認められていない
ことと,②アルツハイマー型痴呆以外の痴呆性疾患において本剤の有効性は確認さ
れていないことが記載されたが,「軽度及び中等度」との記載が付されなかったこ
とから,審査当局が,先の承認処分時において,アルツハイマー型認知症につい
て,軽度,中等度,高度によってそれぞれ異なった別疾患ではなく,いずれも同一
の疾患であるととらえていたことが優に認められると主張する。
しかし,この主張は意味不明である。先の承認処分における効能・効果として,
例えば添付文書に「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症における認知症症状
の進行抑制」と記載されている以上,「使用上の注意」の欄に,わざわざ「軽度及
び中等度の」アルツハイマー型認知症以外の認知症性疾患において本剤の有効性は
確認されていない,などと記載する必要は全くない。この注意書きの記載は,本薬
がアルツハイマー型認知症の症状の進行を抑制するものであることと,適用対象が
アルツハイマー型認知症である旨注意を喚起したものにすぎない。
なお,審査当局の判断という点でいえば,前記のとおり,塩酸ドネペジルの最初
の承認の際に薬価基準に効能・効果に関する留意事項が付記されており(甲1


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8),それによれば,先の承認処分に係る医薬品は高度アルツハイマー型認知症患
者には保険適用できないこと,すなわち,薬事法上,軽度及び中等度アルツハイマ
ー型認知症と高度アルツハイマー型認知症とは別の疾患であり,高度アルツハイマ
ー型認知症については,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症とは別途薬事法上
の許可を受ける必要があったということが明らかである。
イ次に,原告らは,文献(甲31)の「ここでは便宜的に経過を「初期」
「中期」「後期」と3期に分けましたが,実際にはこのようにきちんと分けられる
ものではありません。あくまで大まかな分類にすぎませんが,介護者が問題点を認
識し,将来の介護計画を立てるうえでの参考になるはずです」との記載(12頁)
を持ち出し,上記の区分などは,同一疾患であるアルツハイマー型認知症の経過
(病期)を便宜的に分けただけのものにすぎないと主張する。
しかし,上記文献(甲31)には,上記記載の直後に,「初期の症状」,「中期
の症状」,「後期の症状」それぞれの具体的症状が明確に記載され,各期における
病態・病状・症状の相違が明確であり(乙13),これらの症状はおおよそFAS
Tの区分による説明に該当するものである。つまり,上記文献(甲31)は,アル
ツハイマー病,認知症などに罹患した患者のいる家族に対するQ&A本という位置
付けにすぎず,臨床医などであればより明確な区分(FASTなど)でより明確に
病態の相違を認識できるものである。
ウさらに,原告らは,本件医薬品の治験データとして提出されている外国試
験(甲3,18頁以降)において,中等度と高度が一括り(同一疾患)として取り
扱われていると主張する。
しかし,かかる外国試験が実施された米国では,当時,両者の評価スケールが臨
床試験時に存在したために,両者を対象とする臨床試験を実施できたにすぎない。
なお,米国においても,軽度及び中等度と高度は別の効能・効果として承認が下り
ている(乙14,15)。日本において,高度アルツハイマー型認知症の評価スケ
ールがはじめから存在していれば,軽度,中等度及び高度において同時に臨床試験


  • 33 -


をすることが可能であり,その場合は,特許が登録されていたにもかかわらず,高
度アルツハイマー型認知症の部分についてのみその特許を実施できなかった期間が
生じることはなかったのである。さらに,重症度を問わず,軽度・中等度・高度が
全て1つの疾患と認識されているのであれば,軽度及び中等度についての臨床試験
の結果に基づいて,高度も含めてあらゆるアルツハイマー型認知症について効能・
効果が認められるはずであるが,実際にはそのような取り扱いはされなかった。つ
まり,先の承認処分にかかる臨床試験では,軽度及び中等度しか認められなかった
ということは,軽度及び中等度と高度とは別疾患,別の効能・効果であることの証
である。
そもそも,存続期間延長制度は,特許が登録されているにもかかわらず,官公庁
の手続に時間がかかることによって生じる侵食された期間を填補するための制度で
ある。本件は,高度アルツハイマー型認知症についても承認を早く受けたかったに
もかかわらず,当時,高度アルツハイマー型認知症についての評価基準の問題で臨
床試験及び承認申請ができず,その後遅れて承認を受けたという,まさに侵食され
た期間に対する救済を施すべき典型例であると考える。
参考のために付言すると,軽度と中等度の評価スケールは本剤の臨床試験開始時
に存在したために,両者につき同時に臨床試験を実施でき,同時に承認を得ること
ができたが,軽度と中等度においても,その病態・症状の相違は明確に区別できる
から,本来別疾患と考えるのが妥当である。
5 「症状」の相違をもって「病態」が異なると判断した点につき
(1) 軽度及び中等度と高度とは実質的に異なる疾患であると判断した点につき
原告らは,「・・・本薬は,後述するようにアセチルコリンエステラーゼ阻害剤
であり,その作用機序との関係では,アセチルコリン作動性神経細胞の脱落が,本
薬が効能・効果をもたらすアルツハイマー型認知症の主要な『病態』であるといえ
る。そしてアルツハイマー型認知症は,『軽度及び中等度のアルツハイマー型認知
症』から『高度アルツハイマー型認知症』に進行する進行性疾患であることから,


  • 34 -


『軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症』の病態も,それが進行した『高度ア
ルツハイマー型認知症』の病態も,本薬との関係において,アセチルコリン作動性
神経細胞の脱落を病態とする点において同じであるから,両者は病態に基づいて区
別し得ない実質的に同一の疾患である。」と主張する。
しかし,前記のとおり,医薬品の適用対象となる疾患の「病態」と「薬理作用」
の二方向から当該医薬品の用途の同一性を比較検討すべきことを考えれば,そのよ
うな主張が誤りであることは明らかである。疾患のメカニズムからの同一性の検討
は「薬理作用」の同一性判断に任せ,その疾患の臨床的な同一性の検討は患者の病
気の容態,病状,病的状態,症状などの面から考えるべきである。
したがって,本件事案において,「病態」は,患者の病気の容態,病状,病的状
態,症状などで把握するのが妥当であり,FASTに記載のような区分による病状
によって捉えられるものである。アセチルコリン作動性神経細胞の脱落は,FAS
Tに記載の症状を呈する原因という意味で,病態の原因ということができるもの
の,それを病態そのものと判断するのは妥当でない。
(2) FASTの区分に示された「症状」をもって「病態」とした点につき
ア原告らは,アルツハイマー型認知症の「病態」は,医学的には「症状」
とは異なる概念である旨主張する。
被告は,常に「病態」=「症状」であると定義・解釈をしているわけではない
が,辞典などを参照すればわかるように,「病態」=病気の容態,病状,病的状
態,症状などと解釈するのが一般的である。
原告らは,「病態」は,医学的には「症状」とは異なる概念であるとして,各文
献(甲38の1,甲43,甲39,甲40)を挙げているが,これらは何れも「病
態生理」の意味で「病態」を用いている例であると思われる。「病態」が,文脈に
よってそのように用いられるからといって,審決が「病態」を一般的な意味,すな
わち病気の容態,病状,病的状態,症状などの意味で用いていることに何ら問題は
ない。


  • 35 -


イ次に,原告らは,アルツハイマー型認知症の「病態」が「症状」とは異
質のものであることは,被告にも審査当局にも認識されていると主張するが,かか
る主張が成り立たないことは前記のとおりである。
ウ原告らは,「FASTなどの評価スケールは認知症の有無及び程度(病
状の段階)を測るためのものに過ぎず,一義的に確立確定されたものではなく,ま
して疾患を区別するためのものではない」旨主張する。
しかし,FASTはアルツハイマー型認知症の評価スケールとして国際的に最も
広く使われているものであり,軽度,中等度,高度アルツハイマー型認知症の病態
を知る上で有用な評価スケールである。実際に,本件高度アルツハイマー型認知症
の臨床試験においても,高度アルツハイマー型認知症の患者を抽出する際にFAS
Tが用いられている(甲3,10頁19~20行)。
したがって,FASTの評価スケールをもって軽度,中等度,高度アルツハイマ
ー型認知症の区別をしたからといって,これらが別疾患であるとの認定に影響する
ものではない。特に,前記のとおり,専門家である当局が,高度アルツハイマー型
認知症を,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症とは異なる効能・効果として,
本薬を新効能医薬品であると判断した事実は尊重されるべきである。
エさらに,原告らは,被告においても,「アルツハイマー病の終末期患者
の脳の病理学的知見に基づき,すなわち,被告がいう『軽度及び中等度』とは異な
る『高度』の疾患の病理学的知見に基づき」軽度及び中等度に対する本薬の開発を
開始したと主張し,被告が軽度及び中等度と高度が別疾患であると主張すること自
体に自己矛盾があるなどと主張する。
しかし,前記のとおり,疾患の同一性を医薬品の適用対象となる疾患の「病態」
又は「薬理作用」の同一性によって判断して,軽度,中等度,高度のアルツハイマ
ー型認知症がそれぞれ別疾患であると捉えられることができる以上,上記原告らの
主張は失当である。
(3) 薬理作用の異同にかかわらず両効能・効果は異なるとの判断をした点に


  • 36 -


つき
審決が「当該医薬品の薬理作用の異同にかかわらず」高度アルツハイマー型認知
症の認知症症状の進行抑制が軽度及び中等度のそれと異なる効能・効果であると判
断したことに対し,原告らは「医薬品の効能・効果は,いうまでもなく,その医薬
品の薬理作用に基づく作用部位・作用機序によってもたらされる。従って,医薬品
の効能・効果を対比するに際しては,当該医薬品の作用部位との関係における疾患
について,あるいは,当該医薬品の作用機序との関係における症状について,対比
することが不可欠である。」と主張する。
しかし,医薬品が適用される疾患が異なれば効能・効果が異なるのものであると
ころ,本件においては疾患が異なるから効能・効果が異なると判断した審決は,薬
理作用の異同を判断しなかったことにつき何ら誤りはない。
(4) 薬事法所定の承認処分をもって特許法上の用途(効能・効果)も異なると
の判断をした点につき
原告らは,特許法上の用途(効能・効果)の同一性は,薬事法所定の承認申請区
分やそれに基づく承認の枠組みに基づいて形式的に判断されるべきものではない,
と主張する。
しかし,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症と高度アルツハイマー型認知症
が異なる疾患であることは前記のとおりである。原告らは,審査報告書(甲3)に
おいて,本件医薬品の効能・効果に係る認知症症状の進行抑制効果が重症度によら
ないとの判断を示し,本件承認処分に係る疾患を「アルツハイマー型認知症」に統
一したと主張するが,薬剤が重症度の異なる2つの疾患に対してともに有効である
ゆえに,両疾患に対する効能・効果を合わせて当該薬剤の効能・効果と位置づける
ことは何ら不自然ではない。
また,原告らは,作用機序,薬理効果が同一であるとして効能・効果が同一であ
ると主張するが,それまでの原告らの主張を繰り返すものにすぎず,これらが失当
であることはすでに反論したとおりである。


  • 37 -


さらに,原告らは,保険適用に関する審決の判断について言及するが,保険適用
の範囲が限定されていたことが疾患を異にし,効能・効果を異にすることの1つの
根拠と考えることに何ら不合理な点はない。
5 原告らの主張する弊害につき
認知症専門医にとっては中等度アルツハイマー型認知症と高度アルツハイマー型
認知症との区別は明確であり,専門医でない医師も判断が難しい場合には,専門医
に相談するはずであるから,結局,中等度アルツハイマー型認知症と高度アルツハ
イマー型認知症との区別は医療現場において明確に区別し得ないものではない。
また,原告らの懸念は,後発医薬品の効能・効果が「軽度及び中等度アルツハイ
マー型認知症の認知症症状の進行抑制」,先発医薬品の効能・効果が「アルツハイ
マー型認知症の認知症症状の進行抑制」と異なることになった場合,現場の医師が
この違いを理解しようとせず,あるいは単に利便性の理由から軽度及び中等度アル
ツハイマー型認知症の場合も高度アルツハイマー型認知症の場合も一律後発医薬品
を利用しないことにしてしまうことにあると推測される。しかし,かかる懸念は情
報の徹底により大部分が解決するものである。軽度及び中等度アルツハイマー型認
知症であれば後発医薬品を処方することが可能であり,高度アルツハイマー型認知
症についても,特許期間満了後は効能追加申請が行われることを医師に十分知って
もらえばよいことである。

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第4 当裁判所の判断





1 アルツハイマー型認知症について



(1) アルツハイマー型認知症の定義,罹患の原因,病態(病態生理),症状等に関し,下記のア~オの文献に記載されているのは次のとおりである。

ア南山堂「医学大辞典第19版」(甲29,40)

(ア) 「痴呆」の項目

発育過程で獲得した知能,記憶,判断力,理解力,抽象能力,言語,行為能力,認識,見当識,感情,意欲,性格などの諸々の精神機能が,脳の器質的障害(原因疾患)によって障害され,そのことによって独立した日常生活・社会生活や円滑な人間関係を営めなくなった状態をいう。(以下略)

(イ) 「アルツハイマー型痴呆」の項目

初老期発症のタイプを最初に記載したアルツハイマーAlzheimerにちなんでアルツハイマー病Alzheimer disease,高齢期発症のタイプを19世紀初頭のピネル以来の記載にならって老年痴呆senile dimentia,あるいはアルツハイマー型老年痴呆senile dementia ofAlzheimer type(SDAT)と称し,あわせてアルツハイマー型痴呆という。(以下略)

(ウ) 「アルツハイマー病」の項目

初老期発症のタイプを最初に記載したアルツハイマーAlzheimerにちなんでアルツハイマー病,高齢期発症のタイプをアルツハイマー型老年痴呆senile dementia of Alzheimertype(SDAT)と称し,あわせてアルツハイマー型痴呆という。初老期には,40歳代後半から50歳代にかけ,高齢期では70歳代後半以降に発症し,記憶障害,意欲障害,判断障害,失語,失行,失認,人格障害,感情障害,鏡現象,クリューヴァー・ビューシー症候群Kl ver-Bucy syndromeなどの症状が現れ,高度の痴呆に陥り,さらにてんかん発作や筋固縮などの神経症状が加わり,最後は失外套症候群を示し,寝たきりとなって死に至る脳の変性疾患である。脳の病理変化としては,老人斑(アミロイドβタンパクの沈着),アルツハイマー神経原線維変化(神経原線維変化),神経細胞消失がみられ,病状の進行とともに病変は高度となり,著名な脳萎縮(⇒脳萎縮症)をきたす。側頭葉内側部の海馬と側頭・頭頂・後頭葉接合部に病変が強い。病態として,アミロイドβタンパク(⇒β-タンパク)の異常かつ早期の沈着,神経細胞内のリン酸化タウタンパクの貯留が重要であり,またアセチルコリンなどの神経伝達物質の異常現象が背景にあることなどが明らかにされている。(以下略)

イ融道男等監訳「ICD-10 精神および行動の障害-臨床記述と診断ガイドライン-新訂版」株式会社医学書院,「F0 病状性を含む器質性精神障害」のうち「F00 アルツハイマー病型認知症」の項目58頁~59頁,(甲32)

アルツハイマー病は,原因不明の一次性脳変性疾患であり,特徴的な神経病理学的および神経科学的所見を伴う。発症は通常潜行性であり,緩徐ではあるが着実に数年かけて進行する。その期間は2ないし3年と短いこともあるが,時にはかなり長いこともある。・・・

(中略)・・・

脳には以下の特徴的な変化が認められる。とくに海馬,無名質,青斑核,側頭-頭頂葉皮質および前頭葉皮質におけるニューロン数の著明な減少。対になった螺旋状のフィラメントから成る神経原線維のタングルの出現。主にアミロイドから成り,その発展において一定の進行を呈する神経原性老人斑(嗜銀性)(しかし,アミロイドのない斑があることも知られている)および顆粒空胞状の小体。また,コリンアセチル基転移酵素,アセチルコリン自体,さらに他の神経伝達物質と神経調節物質の著しい減少といった神経化学的変化も見出されている。

はじめに述べたように,臨床症状は上記の脳の変化に伴っている。しかし,両者は必ずしも並行して進行するわけでなく,一方は明白に存在するが,他方はほんのわずかしか認められないこともある。それにもかかわらず,アルツハイマー病は,しばしば臨床的な根拠だけから推定診断をくだすことができるような臨床症状をもっている。アルツハイマー病型認知症は現在のところ不可逆的である。(以下略)

ウ落合慈之「脳神経疾患ビジュアルブック」株式会社学研メディカル秀潤社,196頁(甲38の1)

Unit1 認知症アルツハイマー病

・疾患概念

緩徐進行性の記憶障害を呈し,老年期の認知症性疾患のなかで最大の要因を占める。頭頂葉および海馬を含む側頭葉内側が侵されやすく,病理組織学的には,アミロイドβタンパクが凝集した老人斑の出現と,異常リン酸化タウタンパクからなる神経原線維変化(NFT)の出現,アセチルコリン作動性細胞の脱落(消失・減少)によって特徴づけられる。

・病態

●アミロイド仮説アミロイドβ(Aβ)タンパクという異常なタンパクからなる老人斑(SP)の出現が病態の主体である。

●そのほか,変性した神経原線維の出現,アセチルコリン作動性神経細胞の顕著な脱落により,脳細胞が急激に減少して脳が萎縮し,知能低下や人格崩壊が起こる。

・病状・臨床所見

●前駆状態としての軽度認知機能障害(MCI)

●緩徐進行性の近時記憶障害と時間や場所の失見当識が主体

●後期には人格/行動変化,精神症状が現れる。これらを認知症随伴心理行動異常(BPSD)という。

・検査・診断・分類

●臨床診断は病歴や臨床像による。

●神経心理検査

●画像検査(MRI,SPECT,FDG-PET,アミロイドPET)

●脳脊髄液のバイオマーカー(アミロイドβ42タンパク,リン酸化タウタンパクなど)

●確定診断は剖検での病理組織(以下略)

エ監訳朝田隆「痴呆症のすべてに答える」株式会社医学書院,12頁~13頁(甲31)

Q17 アルツハイマー病はふつうどのように進行するのですか。大体は同じようなものですか。

これは十人十色です。症状の進行速度はさまざまであり,以下に示す症状は代表的なものですが,これらが必ずみられるというわけでもありません。基本的には緩やかに進行します。

ここでは便宜的に経過を「初期」「中期」「後期」と3期に分けましたが,実際にはこのようにきちんと分けられるものではありません。あくまで大まかな分類にすぎませんが,介護者が問題点を認識し,将来の介護計画を立てるうえでの参考となるはずです。

[初期の症状]

アルツハイマー病の初期症状は見過ごされがちで,医師や親族あるいは友人であっても年齢相応とみなしてしまうものです。とてもゆっくりと発症するので,発症がいつであるかを厳密に決めるのは容易ではありません。具体的には次のような症状が出てきます。

・言語の面での支障

・記憶の障害,とくに記銘力(新たに覚えること)の問題

・時間感覚の悪さ

・知っているはずの場所で迷う

・・・(中略)・・・

[中期の症状]

病気が進行するとともに問題はより明らかとなり,日常生活のさまざまな面に支障をきたすようになります。

・忘れっぽさが顕著になり,とくに最近の出来事や人の名前などで目立つ

・独立して,支障のない生活を営めない

・料理,掃除,買い物ができない

・ひどく依存的になる

・排泄,入浴,清潔保持などの面で介助が必要となる

・衣類の着脱にも介助が必要となる

・会話がさらに困難になる

・徘徊して行方不明になる

・・・(中略)・・・

[後期の症状]

この時期にはいわゆる寝たきりとなり全面的な介護が必要となります。(以下略)

オ大塚俊男・本間昭監修「高齢者のための知的機能検査の手引き」株式会社ワールドプランニング,「Functional Assessment Staging(FAST)」の項目59頁~64頁(甲44)

この文献(甲44)によれば,Functional Assessment Staging(FAST)とは,アルツハイマー型認知症についてADL(判決注:日常生活動作能力)の障害の程度によって分類したものであり,対象の日常生活機能を総合的に評価し,認知症の中でも特にアルツハイマー型認知症の重症度を判定することを目的とした知的機能検査法である。FASTはアルツハイマー型認知症について,正常老化を含めて全部で7段階に病期が分類されており,段階4以上の臨床診断及びFASTにおける特徴は以下のとおりである。

・段階4(中等度の認知機能低下)

臨床診断は「軽度のアルツハイマー型認知症」であり,FASTにおける特徴は「夕食に客を招く段取りをつけたり,家計を管理したり,買物をしたりする程度の仕事でも支障をきたす。」である。

・段階5(やや高度の認知機能低下)

臨床診断は「中等度のアルツハイマー型認知症」であり,FASTにおける特徴は「介助なしでは適切な洋服を選んで着ることができない。入浴させるときにもなんとかなだめすかして説得することが必要なこともある。」である。

・段階6(高度の認知機能低下)

臨床診断は「やや高度のアルツハイマー型認知症」であり,FASTにおける特徴は「(a)不適切な着衣,(b)入浴に介助を要する。入浴を嫌がる。(c)トイレの水を流せなくなる。(d)尿失禁,(e)便失禁」である。

・段階7(非常に高度の認知機能低下)の臨床診断は「高度のアルツハイマー型認知症」であり,FASTにおける特徴は「(a)最大限約6語に限定された言語機能の低下。(b)理解し得る語彙はただ一つの単語となる。(c)歩行能力の喪失,(d)着座能力の喪失,(e)笑う能力の喪失,(f)昏迷および昏睡」である。

(2) 上記文献記載によれば,アルツハイマー病とは,原因不明の一次性脳変性疾患であって,認知症の原因疾患の1つであり,脳の病理変化としては,アミロイドβ(Aβ)タンパクという異常なタンパクからなる老人斑(SP)の出現,変性した神経原線維の出現,アセチルコリン作動性神経細胞の顕著な脱落による脳細胞の急激な減少による脳の萎縮などがあること,アルツハイマー型認知症は,緩やかにかつ不可逆的に進行し,初期・中期・後期,あるいは軽度・中等度・高度といった段階に分けられることが認められる。

2 先の承認処分と本件承認処分における軽度及び中等度アルツハイマー型認知症並びに高度アルツハイマー型認知症の違いについて

審決は,病態が異なることを根拠にして,「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症」と「高度アルツハイマー型認知症」は病態に基づいて区別し得る実質的に異なる疾患であるとし(各審決書13頁~14頁),被告も同趣旨の主張をする。しかし,前記のとおり,各種医学書籍はアルツハイマー病ないしアルツハイマー- 43 -型認知症を1つの疾患として扱い,それを初期・中期・後期,あるいは軽度・中等度・高度といった段階に分けていることが認められる。

また,本件承認処分に係る医薬品製造販売承認事項一部変更承認申請書(甲2の4)に変更の内容及び理由として「本申請は,高度アルツハイマー型認知症患者を対象とした臨床試験の結果より,『効能又は効果』について,重症度に関係なく軽度から高度に至るアルツハイマー型認知症全般の認知症症状の進行抑制に使用できることとします。また,それに伴い『用法及び用量』を高度アルツハイマー型認知症患者では1日10㎎に増量するように変更する一部変更承認申請です。」と記載されており,本件承認処分に係る承認申請(本件承認申請)に関する審査報告書(甲3)に「本薬は,日本人高度アルツハイマー型認知症患者を対象とした国内231試験において,SIB及びCIBIC p1usの二つの主要評価項目で,ともに有効性を示したことから,既承認の軽度及び中等度と併せて,重症度に依らず認知症症状の進 行を抑制する薬剤と位置付けられるとした機構の判断は,専門協議において支持された。」(33頁)と記載されていることに照らすと,被告及び審査当局(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)はアルツハイマー型認知症をその重症度に応じて軽度,中等度及び高度に分けていることが認められる。

そうすると,先の承認処分及び本件承認処分における「軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症」と「高度アルツハイマー型認知症」は実質的に異なる疾患というよりも,アルツハイマー型認知症という1つの疾患を重症度によって区分したものであると認めるのが相当である。

そして,本件承認申請に係る審査報告書(甲3)の10頁,16頁によれば,本件承認処分のための国内臨床試験及び外国臨床試験における被験者の選択基準として,観察開始日(投与4週前)のFASTが6以上の者,観察開始日(投与4週前)のMini-Mental State Examination(MMSE:簡易認知機能検査)が1ないし12点であるといった条件を満たす50歳以上の患者とされていることに照らすと,本件承認処分における高度アルツハイマー型認知症はFASTが6以上という条件を満たすアルツハイマー型認知症を前提としていると解される。より具体的には,前記FASTの分類基準によれば,軽度アルツハイマー型認知症の場合,更衣,排泄,食事といった日常生活の基本的な立ち振舞いは問題がないものの,中等度のアルツハイマー型認知症では基本的な立ち振舞いに問題がみられるようになり,やや高度・高度のアルツハイマー型認知症では,日常生活の基本的な立ち振舞いの多くに障害が認められ,日常生活を他人の介助なしには行うことができない状態になると認められ,かかる点において軽度及び中等度アルツハイマー型認知症と高度アルツハイマー型認知症に差異があることを前提としていると認められる。

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3 先の承認処分と本件承認処分における本件医薬品の薬理作用について



(1) 下記甲3,6の報告書及び文献には,以下の記載がある。

ア本件承認申請に際して独立行政法人医薬品医療機器総合機構が作成した

「審査報告書」(平成19年7月10日付け)6頁(甲3)

申請者は,今回の効能追加にあたり,本薬がex vivoにおいて幅広い用量範囲で用量依存的に脳内AChEを阻害すること(既承認時申請資料ホ-1-2),臨床上,アルツハイマー型認知症の重症度とコリン作動性神経障害の程度がよく相関すること(J.Neurochem64:749-760,1995),高度アルツハイマー型認知症でもコリン作動性神経活性は十分残存していること(JAMA281:1401-1406,1999)等から,本薬は臨床において高度を含む様々な程度のアルツハイマー型認知症に対する効果を有すると考えられると主張している。

機構は,申請者が上記公表論文を引用して説明したように,アルツハイマー型認知症の重症度はAChE活性と相関があり,重症になるに伴いAChE活性が低下することも踏まえ,高度アルツハイマー型認知症では,軽度及び中等度より本薬を高用量投与しなければ臨床的効果が得られない理由,及び本薬が有効性を示すと考えられるコリン作動性神経障害の程度(限度)を薬理学的に考察するように求めた。

申請者は,以下のように回答した。アルツハイマー型認知症が重症化するほどコリン作動性神経の脱落が高頻度に起こり,シナプス間隙でのアセチルコリン(以下ACh)レベルが減少すると推察され,より高用量のAChE阻害剤を用いてAChEを強く阻害し,シナプス間隙のAChレベルを上げる必要があると考えられる。・・・イ被告及びファイザー株式会社「医薬品インタビューフォーム(2008年7月改訂〔改定第17版〕」13頁,21頁(甲6)

・Ⅴ 治療に関する項目

1 効能又は効果

(2) 効能又は効果に関連する使用上の注意

2)本剤がアルツハイマー型認知症の病態そのものの進行を抑制するという成績は得られていない。

(解説)

本剤はアセチルコリンセルテラーゼ阻害剤であり,コリン作動性神経系の賦括によりアルツハイマー型認知症の症状を改善することを目的としており,病態そのものの進行を抑制する薬剤ではない。

・Ⅵ 薬効薬理に関する項目

2 薬理作用

(1) 作用部位・作用機序

アルツハイマー型認知症では,脳内コリン作動性神経系の顕著な障害が認められている。本薬は,アセチルコリン(ACh)を分解する酵素であるアセチルコリンエステラーゼ(AChE)を可逆的に阻害することにより脳内ACh量を増加させ,脳内コリン作動性神経系を賦括する。

(2) 上記文献記載によれば,本件医薬品の薬理作用は,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症,高度アルツハイマー型認知症のいずれにおいても,アセチルコリン(ACh)を分解する酵素であるアセチルコリンセルテラーゼ(AChE)を可逆的に阻害することにより脳内ACh量を増加させ,脳内コリン作動性神経系を賦括する点では同じであり,高度アルツハイマー型認知症患者に対してはより高用量のAChE阻害剤を用いてAChEを強く阻害するために用量が1日10㎎に増量されていることが認められる。

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4 本件承認処分に至る経緯

(1) 前記審査報告書(甲3)には,以下の記載がある。

ア審査報告書1頁「記」の欄

[販売名]

①アリセプト錠3mg,②アリセプト錠5mg,③アリセプト錠10mg,④アリセプトD錠3mg,⑤アリセブトD錠5mg,⑥アリセブトD錠10mg,⑦アリセプト細粒0.5%

[一般名]

塩酸ドネペジル

・・・(中略)・・・

[申請区分]

③⑥:1-(4),(6),(7)-2 新効能・新用量・剤型追加に係る医薬品(再審査期間中でないもの)

①②④⑤⑦:1-(4),(6) 新効能・新用量医薬品

イ審査報告書3頁審査報告(1)「Ⅱ.1.起源又は発見の経緯及び外国における使用状況等に関する使用」の欄

塩酸ドネペジル(以下,本薬)は,エーザイ株式会社で開発されたアセチルコリンエステラーゼ(以下,AChE)阻害剤であり,本邦では,「軽度及び中等度のアルツハイマー型痴呆における痴呆症状の進行抑制」を効能・効果として,平成11年10月8日に「アリセプト錠3mg」及び「アリセプト錠5mg」が,平成13年3月15日に「アリセプト細粒0.5%」が,平成16年2月26日に「アリセプトD錠3mg」及び「アリセプトD錠5mg」が承認されている。今般,高度アルツハイマー型認知症患者を対象とした臨床試験成績等に基づき,対象患者に高度アルツハイマー型認知症患者も加えた「アルツハイマー型痴呆における痴呆症状の進行抑制」を効能・効果として,高用量投与のため「アリセプト錠10mg」及び「アリセプトD錠10mg」の剤型を追加する承認がなされた。なお,現時点で本邦において,高度のアルツハイマー型認知症の効能・効果を有する薬剤は承認されていない。

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ウ審査報告書7~8頁審査報告

(1)審査の概要の欄機構は,以下のように考える。本申請効能が認められた場合,軽度から高度のアルツハイマー型認知症に適用されることになり,・・・病態が進行した高度のアルツハイマー型認知症においてはこれまでの2倍量が投与されることとなるが,・・・安全性上の悪影響の増加も懸念される。

エ審査報告書31頁審査報告(1)「IV.総合評価」の欄

機構は,以上のような検討を行った結果,高度アルツハイマー型認知症の患者に対する本薬10mg/日投与の有効性は認められ,安全性についても,投与初期に3mg/日及び5mg/日を経て適切に増量することにより大きな問題はないと判断した。10mg/日の安全性に関する情報を引き続き収集する必要はあるものの,国内臨床現場に高度アルツハイマー型認知症の進行抑制に使用できる薬剤を初めて提供する意義はあり,本申請は承認可能と判断した。今回の効能追加により新たに必要となる注意喚起や製造販売後に必要な情報収集等に関しては,専門協議における議論を踏まえ,最終的に判断したい。

オ審査報告書33頁審査報告(2)「3.効能・効果について」の欄

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(i)高度アルツハイマー型認知症の効能追加について



本薬は,日本人高度アルツハイマー型認知症患者を対象とした国内231試験において,SIB及びCIBIC p1usの二つの主要評価項目で,ともに有効性を示したことから,既承認の軽度及び中等度と併せて,重症度に依らず認知症症状の進行を抑制する薬剤と位置付けられるとした機構の判断は,専門協議において支持された。

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(2) 上記審査報告書の記載によれば,日本では,本件承認処分前において,①塩酸ドネペジルは軽度及び中程度のアルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制を効能・効果として承認されていたが,高度のアルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制を効能・効果とする承認は塩酸ドネペジルに対してだけでなくいかなる薬剤に対しても一切なされていなかったところ,②塩酸ドネペジルの高度アルツハイマー型認知症患者を対象とした臨床試験成績等に基づき,塩酸ドネペジルについて,対象患者に高度アルツハイマー型認知症患者も加えた「アルツハイマー型痴呆における痴呆症状の進行抑制」を効能・効果とする本件承認申請がなされ,③この申請が独立行政法人医薬品医療機器総合機構において審査され,高度のアルツハイマー型認知症では,これまでの2倍量が投与されることに対して安全性上の懸念が示されたが,投与初期に3mg/日及び5mg/日を経て適切に増量することにより大きな問題はなく,国内臨床現場に高度アルツハイマー型認知症の進行抑制に使用できる薬剤を初めて提供する意義はあり,本件承認申請は承認可能とされたところ,④日本人高度アルツハイマー型認知症患者を対象とした国内臨床試験において有効性を示したことから,塩酸ドネペジルを重症度に依らず認知症症状の進行を抑制する薬剤と位置づけることが,専門協議において支持され,⑤独立行政法人医薬品医療機器総合機構は,本件承認申請を承認して差し支えないとの最終的な判断をしたことが認められる。

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5 先の承認処分における用途と本件承認処分における用途の同一性について



前記認定によれば,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症と高度アルツハイマー型認知症との差異は,緩やかにかつ不可逆的に進行するアルツハイマー型認知症の重症度による差異であると解されるところ,塩酸ドネペジルが軽度及び中等度アルツハイマー型認知症症状の進行抑制に有効かつ安全であることが確認されていたとしても,より重症である高度アルツハイマー型認知症症状の進行抑制に有効かつ安全であるとするには,高度アルツハイマー型認知症の患者を対象に塩酸ドネペジルを投与し,その有効性及び安全性を確認するための臨床試験が必要であったと認められる。

そして,「用途」とは「使いみち。用いどころ。」を意味するものであり,医薬品の「用途」とは医薬品が作用して効能又は効果を奏する対象となる疾患や病症等をいうと解され,「用途」の同一性は,医薬品製造販売承認事項一部変更承認書等の記載から形式的に決するのではなく,先の承認処分と本件承認処分に係る医薬品の適用対象となる疾患の病態(病態生理),薬理作用,症状等を考慮して実質的に決すべきであると解されるところ,本件のように,対象となる疾患がアルツハイマー型認知症であり,薬理作用はアセチルコリンセルテラーゼの阻害という点では同じでも,先の承認処分と後の処分との間でその重症度に違いがあり,先の承認処分では承認されていないより重症の疾患部分の有効性・安全性確認のために別途臨床試験が必要な場合には,特許発明の実施について安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分であって政令で定めるものを受ける必要があった場合に該当するものとして,重症度による用途の差異を認めることができるというべきである。

よって,本件においては,前記判示のとおり,疾患としては1つのものとして認められるとしても,用途についてみれば,先の承認処分における用途である「軽度及び中等度アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」と本件承認処分における用途である「高度アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」が実質的に同一であるといえないとして,存続期間の延長登録無効審判請求を不成立とした審決は,その判断の結論において誤りはない。

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6 原告らの主張する弊害について



先の承認処分と本件承認処分における「軽度及び中等度アルツハイマー型認知症」と「高度アルツハイマー型認知症」の区別については,前記の本件承認処分に至る経緯に鑑みると,FASTが6以上のアルツハイマー型認知症を「高度アルツハイマー型認知症」とすることを前提としていると解される。しかし,先の承認処分及び本件承認処分においてアルツハイマー型認知症のうちの「軽度」「中等度」「高度」について明確な定義や基準が示されていないこと,FASTはアルツハイマー型認知症を病期や重症度によって区別する判定基準の1つにすぎないこと(甲44)に照らすと,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症に対してはいわゆる後発薬を使用できるが,高度アルツハイマー型認知症に対しては後発薬は使用できないことになるという事態が医療現場に混乱が生じさせるものであるとの主張自体をあながち理由のないものとすることはできない。

しかし,この主張自体仮定的なものであるし,また,基準が一義的に明確ではないにしろ,アルツハイマー型認知症が初期・中期・後期,あるいは軽度・中等度・高度といった段階に分けられることは前記のとおりである。そして,本件全証拠に照らしても,被告が,本件特許権の存続期間を延長するために,アルツハイマー型認知症の病期の一部(高度アルツハイマー型認知症)のみをことさら便宜的に取り出して,軽度及び中等度アルツハイマー型認知症とは別に臨床試験等を行ったとは認められない。また,先の承認処分と後の処分との間でその重症度に違いがあり,先の承認処分では承認されていないより重症の疾患部分の有効性・安全性確認のために別途臨床試験が必要であった場合には,その臨床試験等のために費やした期間は特許存続期間が浸食されており,特許発明の実施について安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分であって政令で定めるものを受ける必要があった場合に該当すると解されることは前記のとおりである。

そうすると,原告らの指摘する医療現場に混乱が生じるおそれや先の承認処分と本件承認処分のいずれもアルツハイマー型認知症という点では用途が同じであることを理由にして,先の承認処分と本件承認処分の用途が同じであるということはできない。

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第5 結論



以上によれば,原告ら主張の取消事由は理由がない。

よって原告らの請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。

知的財産高等裁判所第2部裁判長裁判官塩月秀平- 51 -裁判官真辺朋子裁判官田邉実
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Last Update: 2011-02-24 10:53:00 JST

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